中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

子供のため、と口にはしないけど

ありがたいことにGW周辺でお休みをたくさんいただいたため、ブログの更新ができずにおりました。お休みの日は子供サービスデーなので、PCにあまり触れません。PCを使おうとすると、子供たちのゲームに奪われてしまうことがあるので、子供たちが別のことに気を取られている短時間でコソコソ、という状態です。子育てをツマ任せにはしておけませんので(笑)。

 

まずは朝日新聞5月5日版「折々のことば」より

 

だいたい子供というものは、「親の目が届かないところ」で育っていくんです。

                               河合隼雄

 

いい言葉だなあ・・・日々親に監視されてたら子供はのびのびできないもんね(泣)。

 

さて、5月4日〜6日まで実家に帰省してきた。

子供2人とツマを連れて。

姉(母と同居)が言った。「このところ◯◯さん(ツマのこと)、よくついて来るねぇ」

そう。1,2年前まではまったく行かなかったり5日間のうち3日だけ、とかだったのだが、ここのところやけに真面目についてくる。自分の本音としてはツマについて来てほしくない。ツマの目的の半分以上は息子たちの監視にあるからだ。紙に頼まれてもいないのに、息子たちが紙の道から外れていないように逐一行動に干渉するのだ。

 

黙っていると仏壇に線香もあげないので、ツマが荷物を片付けている隙に息子2人に線香をあげさせた。ツマがいなけりゃ火遊びが楽しくて一度に何本も上げようとするのに(それもいけないんだけど)。

 

うちの地元の神社では毎年「流鏑馬祭り」というお祭りが開催される。

走っている馬から矢を射って的に当てる、というかなり難しいことをやる。

ここのところ流鏑馬自体は見ていないが、子供たちの目当ては屋台のお菓子なので問題はない。

すでに弟の奥さんと子供たちが来ていたので、午後からお祭りに出かけた。

とりあえず神社にお参り・・・

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もちろんツマは来ない。何も言わずに大門の前で動かなくなった。
下の子供はツマに抱きついている。上の息子も(ツマにしかられるのが怖いのか)ツマのそばにいる。
今年はお手水もしない。

弟の奥さんが「あれ、◯◯ちゃんち来ないね」と言った。

ツマのことはすでに母、姉弟(奥さん含む)は知っている。母は時々ツマから訳の分からぬ手紙を受け取るらしい(読ませてもらえばよかった)が、読書家である母に、文法的にも内容的にもおかしなJWの文章は効かない。もちろんツマの自己満足な理屈を書き並べた手紙も。

 

自分はJWに関わるようになってから、「神はいない」と思うようになったが、この時ばかりはいもせぬ神(エホバに非ず)に手を合わせた。

(息子たちをエホバの証人たちから抜けさせてください、そして(エホバの証人を抜けさせるための)知恵を自分に授けてください)と、かなり真剣に祈った。

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夜は母と姉がカレーをふるまってくれた。トッピングにカツやエビフライなど、好みに応じていくらでも豪華にできるのがよかった。子供たちもいつもより食欲旺盛。

 

そして家族で乾杯。

ツマはそういうタイミングで姿を消す。

今回は飲んだくれてまともな話はあまりしなかったが、楽しかった。ただ好きな人たちと一緒に飲んで食っていられることが幸せだった。

ツマは世間話はほとんどせず、「この料理おいしいですねー」と当たり障りのないことを時々しゃべっただけだった(まあいつものこと)。

 

帰省期間でたまたま姉、弟、弟の奥さんとそれぞれ二人きりになる機会があったが、3人ともツマと子供の状態を危惧していた。

特に弟は「写真を撮っても◯◯(上の息子)が笑ってなかった」と鋭い指摘をした。

 

何にしても三人三様でこちらのことを心配してくれているのはありがたかった。それだけでも心強い。なおじ一家の状況を分かった上で、ツマにも普通に接してくれている母、姉、弟、弟の奥さんに感謝。

いつか姉弟3人で密会する約束(いつだろう)と、夏に大学生の甥も含めた姉弟三家族で富士登山をする約束をした。ツマが「富士山はサタンの山よ!」なんて屁理屈こねて拒否しないだろうなあ・・・

 

6日の夕方に東京に戻る。

 

 

下の息子の登園拒否?は相変わらずのようで、確認をまともにしていないが、自分が仕事で出かけている日はほとんど休園している模様。

しかし自分の休日に登園した下の息子は何の問題もなく楽しく過ごしてきた。

10日の参観日が休みだったので(ツマと)行ってきたのだが、クラスのお友達とも普通に接している。以前「自分の好きな遊びを一緒にやってくれない」と言っていたお友達とは一緒に昼ごはんを食べるほどで、仲良し度は変わりない。おまけにそのお友達が金曜日に遊びに来ることになった(もちろんお母さんにも了承してもらった)。

 

・・・・・ますます原因が紙とツマにあるのでは、という気になってきた。

少しひっかかったのは、昼ごはんを食べる前に「てーをーあわせて」という言葉を聞いた時。下の息子が手をごにょごにょとしてるなあ、と思ったら、握りこぶしをとまどうように擦り合わせていた。仏教的な合掌はツマに禁じられているのだろう。かといってキリスト的な祈りの手?にするのもはばかられるような感じだった。

 

チチとハハの意見の相違(180°)が子供に精神的苦痛と歪みを与えている可能性はかなりある。しかしここで自分が引くことがよいことだとは思わない。できる限り一般世界の楽しさを与えなければ、子供たちはエホビアン達に狭められた視界の中で現実に絶望してしまう。

 

未来は親のためにあるのではない、子供たちのためにあるのだ。

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