そもそもの始まりは
2011年の2月頃、上の子を連れて選挙に出かけた帰り、そばにあった公園で上の子と遊んでいた。
そのうち上の子よりも年上らしい男の子と、上の子よりも年下の女の子が来て近くで遊びだした。一緒になって遊びだしたので、そばにいたご両親とも軽くごあいさつ。その日はそれで終わりだった。
何日か後、別の公園でその親子と出会い、話をしていたところ、上の息子が入園する幼稚園はお兄ちゃんの通う幼稚園と同じだった。
入園後も気軽に声をかけてくるお母さんとはすぐに仲良しになった。人見知りの激しい妻も、彼女とはすぐに打ち解けたようだった。
さて1年ほど後、冷蔵庫にことわざのようなメモが貼りつけてある。
「・・・テモテ・・・なにこれ?」
こういう書き物が何かは分かったし、妻が何にはまったかもだいたい確信した。ただその頃は表面上の変化はなかったので気にもしなかった。
しばらくすると、妻の言動に不穏なものがチラつきだした。
子供の誕生日を祝わない、クリスマス近くになってもそれについての話題をまったく口にしない。
そう、妻はものみの塔聖書冊子協会(いわゆる「エホバの証人」)にはまってしまっていた。
高校の同級生にエホバの証人がいたので面識はあったが、まさか身近な相手(まあ他人だが)がそいつにはまるとは思っていなかった。
最初自分は猛反对した。その時は組織のことを何も知らず、直感的な危機感から頭ごなしに猛反発した。もちろん妻は聞き入れるはずもなく、「間もなく世界は滅びるんだから。エホバの証人になっていればハルマゲドンを生き延びて永遠の命を得ることができるの」と真顔で言う。
保険会社が「災害に見舞われたら契約に従って保険料を支払います」という契約は、保険会社というものが明らかに存在して、契約書を交わしているからこそ信頼できるものとなる。
それに対して「当協会に入会すればハルマゲドンが来ても滅ぶことなく永遠の命が与えられます」という契約は、契約書も保証するものも何もない。ただ、中東神話(一般には「聖書」と呼ばれる書き物)に「書かれているだけ」の内容を信じ込んでいるだけの、契約者に圧倒的不利な契約だ。この契約が果たされない時の保証は何もない。
以前自分が知り合いから薦められた生命保険に加入する時は、「どうしてそんなのにするのよ!他にもいい保険があるんじゃないの!!」と散々自分を責め、他により良い保険がないかを調べるような妻だった。
それがどうだ、人あたりのよい友人に薦められた「永遠の命を保証する」らしい生命保険を契約書も交わさずに契約してしまった。そして知るか知らぬか、保険料に自分の人生と息子二人の将来を支払ってしまった。
現在テーブルには常に中東神話(新世界訳)が鎮座し、妻はヒマさえあれば「ものみの塔」や「目覚めよ!」を「はぁはぁ」「フムフム」と理解したような口ぶりで読む。
頭ごなしに反発しても無駄だとわかった自分は、それからエホバの証人に関する情報をインターネットや書籍で集めまわった。そして妻の盲信に対抗する術を身につけようとしている。
今は何よりも、二人の息子をエホバの証人にさせないことを第一目的としている。
残念ながら、妻はエホバの証人にはピッタリ過ぎる人間だと、エホビアンの情報を仕入れるほど思うようになった。自分の意志に反して無理やりひきはがしてもまた別の問題が起こるだろう。
今自分にできることは、息子二人に「自分で判断する能力」を身につけさせること、そして「自立した人間」になるよう育てることだ。
そしてもし、キリスト教に興味があるからと「ものみの塔」や「目覚めよ!」を「正しいことが書かれている雑誌」だと思って読む方に「ちょっと待って!」ということができたら、という思いでこのブログを立ち上げようと思った次第だ。
中東神話(聖書と呼ばれる書き物)の知識はあまりありませんが、「ものみの塔」「目覚めよ!」の文章は、世の中のよいことを何でも彼らの崇拝する「エホバ」というものに結びつけようとしています。その一方で、世の中に起きている嫌なことはすべて「サタン」というもののせいとしています。どちらにしてもその根拠は中東神話に書かれているわずかな文をたよりにしているだけだ。
これから少しずつ「ものみの塔聖書冊子協会」の印刷物についての感想を書いていきたいと思う。