目覚めよ! 2014年10月号「本当の成功とは?」を読む
さて、しばらく間が空きましたが、
今回は2014年10月号「本当の成功とは?」を取り上げます。
P2
米国で行われたある調査でも、「人生における成功に寄与する」ものとして列挙された22の要素の内、「多くのお金を持っていること」は第20位でした。上位に入ったのは、健康、良い人間関係、好きな仕事です。
「米国で行われたある調査」とは具体的にどのような調査なのでしょう。
やましいところがなければ、その元の資料を示すべきです。
これが示されないと、「ある調査」を自分たちの都合のよいように捏造した、と思われますよ。
「ですから、偽の成功と本当の成功との違いは、大抵だれにでも分かります。」
読み始めた時から気になっていたのですが、このテーマは「成功」というより「個人の満足」ということではないかと思われます。
先に進みましょう。
P3
このページを読んでますます確信しました。
どうもものみの塔聖書冊子協会は、「成功」を「満足」にすり替えようとしているのではないか、と。
本文には特に突っ込むところはありませんが、「上辺だけの成功は偽物であり、正しい価値基準に基づいた成功こそ本物である、ということです。」という文章の先に、どのような言葉をつなげていくのか興味が出てきます。
そういえば、この例に「正直でよく働き、礼儀正しいが、家業がうまくいっていない人」と「まじめに勉強して学習意欲はあるが、良い成績を収められない中学生」「まじめに勉強もせず、学習意欲もないが、よい成績を収める中学生」がないのですが、中東神話では説明できない例なのであえて挙げない、ということなのでしょうかね。
P4
ここもそうでしょう。
10行目に初めて「満足」という言葉が出てきます。本来このテーマならば「成功」と書くところでしょう。
それ以外はもっともなことを書いているようです。
P5
長期にわたって成功を収めている企業経営者たちは「驚くほど謙虚で、出しゃばらず、控えめな人であるのに対し、調査の対象となった企業の3分の2は、経営者個人のエゴが極めて強く、そのために会社が倒産したか何の発展もないままであった」
今書いていて???
「」の使い方がどうもおかしい。
「優良企業の上の目指す」という本の原文を見ないとどのようなニュアンスか分からないですね。
日本語も何か変。ほぼ直訳なのでしょうが、成功を収めている企業については「経営者の人柄」を述べているのに、比較されるのが「調査の対象となった企業の3分の2」となり、人と企業を比べるというおかしな文章になっています。
本来は、成功している企業の経営者と、業績の上がらない企業の経営者との比較をして、「謙虚で、出しゃばらす、控えめな人」が経営者として成功する、と言いたいのでしょう・・・が
AppleのCEOだった故スティーブ・ジョブズ氏は「謙虚で、出しゃばらず、控えめな人」だったでしょうか?
恐らくそれとは正反対だった彼の経営したAppleが現在どのような位置にあるかは、iPhoneやiPadをお持ちの方はご存知でしょう。
自分の購読している朝日新聞や別刷「Globe」を見ても、「謙虚で、出しゃばらす、控えめな」経営者はあまり見かけないような気がします。
むしろ「謙虚で、出しゃばらす、控えめな」というのは、インタビュアーに対する態度だったのではないかと勘ぐってしまいます。
先ほどの文章から「経営者個人のエゴが極めて強く」を除くと、「調査の対象となった企業の3分の2は、会社が倒産したか何の発展もないままであった」となります。これは企業の業績調査としては普通なのかなぁ、と思います(あくまでも個人の主観ですが)。
「何の発展もないまま」というのは、言い換えれば「業績が良くはならなかったが、悪くもならなかった」と書くこともできます。前者は否定的な書き方になりますので、成功している企業を持ち上げようとする意図が見えます。
どちらにしても「優良企業の上を目指す」の原文を拝見したいものです(わざわざ買う気はありませんが)。
どなたかお持ちであれば、引用部分の英文を送っていただけると助かります。
「どうしたらよいか」の先の文章
中東神話から引用するまでもありません。ソクラテスはこう述べています。
自分自身が無知であることを
知っている人間は、
自分自身が無知であることを
知らない人間より賢い。
ティモシーとシャーロットへのインタビューについて
ここも「成功」を「満足」に置き換えて読んだ方がしっくりくるでしょう。
「満ち足りた気持ち」・・・正に満足ですね。
要するに、お金はあり余るほど稼ぐようになって心に余裕ができたので、生活に不自由しない程度の事業は維持しながら宗教活動をしていますよ、ということですね。書くまでもないか(笑)。
P6
「人にとって、・・・・・・自分の骨折りによって魂に良いものを見させることに勝るものは何もない」
新世界訳聖書の日本語訳は、
「人にとって,食べ,まさしく飲み,自分の骨折りによって魂に良いものを見させることに勝るものは何もない+。これもまたわたしは,わたし自ら見た。」
「食べ、まさしく飲み」をなぜ省略したのだろう。行が足りない訳ではなさそうなのに。この部分を入れたままにしておくと何か不利なことでもあったのだろうか。お分かりの方、教えてください。
ちなみにこの後は、
これが[まことの]神*のみ手からであるのを+。 25 というのは,だれがわたしより良いものを食べたり+,飲んだりする*であろうか+。
伝道の書2の前半からほぼ最後まで「骨折りはむなしい」ということが書いてあるようなのに、最後にきて「勝るものは何もない!」だそうで。
いつも中東神話を読んで思うのは、「これ」だの「それ」だの指示代名詞が多すぎる!
「これってなーに?」となってしまうことが多々ある。解説書を読めばいいって?それが正しい解説書だったらいいんだけどねぇー。
「生きている犬は死んだライオンよりもまし・・・・・・である」
新世界訳の日本語訳を、この言葉の前から引用すると、
すべての生きている者と結び合わされている*者にはだれであれ確信がある。生きている犬+は死んだライオン+よりもましだからである。 5 生きている者は自分が死ぬことを知っている*+。しかし,死んだ者には何の意識もなく*+,彼らはもはや報いを受けることもない。なぜなら,彼らの記憶は忘れ去られたからである+。 6 また,その愛も憎しみもねたみも既に滅びうせ+,彼らは日の下で行なわれるどんなことにも,定めのない時に至るまでもはや何の分も持たない+。
言葉の貼り合わせを行うことで、本来の意味をねじ曲げてしまうよい例です。
本来記載されている「だから」を表記しないことで、「すべての・・・確信がある」という一文を除こうとしています。
この一連の文章からは、仕事だの成功だのを想起させるものはありません。自分に言わせればこじつけです。
「自分の霊的な必要を自覚している人たちは幸いです」
ここから「本当の成功を収めるには、聖書を学んでその教えを守ることが必要不可欠です」という結論が導き出されるのは、間にどのような方程式があるのでしょうか。
ちなみに「霊的な必要」って何ですかね?
具体的にお分かりの方、教えていただけますか。
さて結論。
今回のテーマでものみの塔聖書冊子協会は、「物質的な成功は精神的な満足には当たらない。精神的な満足を得るために上からの命令には隷従する人になりなさい。」と述べているようです。
精神的満足をある団体用の中東神話だけに頼ると一酸化炭素中毒になりそうなので、自分は窓を開けてゆったりとつまむことにします。
では皆様、良い夜を。