中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

「聖書は実際に何を教えていますか」を読む(4)

P21 実際に役立つ知恵を収めた書物

さて、ここからは「神」という言葉は極力使われません。最初に使うのを控えてきた「エホバ」という言葉を可能な限り多用しようとします。

 

「聖書は神の霊感を受けたものなので、『教え、戒め、物事を正すのに有益』です。

前の記事にも書きましたが、霊感を受けたかどうか分からない書物ですよ。

それに、どうも霊感を受けた人の資質に問題があるようで、霊感をストレートに記載できていない書物もあるように感じます。ホントに霊感を受けて書いたの?証明できないでしょうけど。

 

聖書からは、人間性に対する深い理解が読み取れます。それは当然のことです。聖書の著者であるエホバ神は創造者だからです。エホバはだれよりも人間の考えや感情を深く理解しておられます。

ほー、聖書の著者がエホバで創造者だから、人間の考えや感情を深く理解できるんだ。

さて子どものいる親は、自分の子どもをどれだけ理解できているでしょうか。親の強制に内心反抗したくてたまらない、という思いを理解している親が自分も含めてどれだけいるでしょうか。ましてや平日の夜遅くまで小さな子どもを集会に連れ出して睡眠時間を奪う親が、子どものことを理解しているなど到底思えません。それを容認しているらしいエホバさんが、人間の考えや感情を深く理解しているとは全然思えませんがね。

 

P23 預言を収めた書物

聖書には数々の預言が含まれており、すでに成就したものも少なくありません(中略)エホバは(中略)バビロン市の滅びを予告されました(中略)その名前は、キュロスです。

その書き物がいつ書かれたか、がはっきりしないと預言(予言)かどうかは分かりません。バビロンの滅びを実際に見た人が言い伝え、神の預言の物語を作り上げた可能性だってあります。

 

P24

バビロンについては次のように予告されていました(中略)羊飼いもその群れをそこに伏させない(イザヤ13:20)。

これもバビロン崩壊後に物語として書かれた可能性があります。

それにしてもその前に書かれている「彼女は決して人の住むところとはならず」という訳は正しいんでしょうかね。人物を住まいや土地のように表現するというのは、霊感が狂っていたようですね。

 

「わたしは絶滅のほうきでこれを掃く」という言葉が成就している証拠です(イザヤ14:22,23)

この前に「そして、わたしはこれをやまあらしの所有する所、また、葦の茂る水の池とし」という文章があります。やまあらしの所有するところはさておき、葦の茂る水の池にはなっていませんね。これで預言が成就したと言えるのでしょうか。

 

P25

聖書が、信頼できる預言の記された書物であることを考えると、信仰が強まるのではないでしょうか。

上の文章はあくまでも仮定で、本当にそうかは分かりません。P24でも書いたように、信頼できない預言もありますので、盲目的に信頼するのはよろしくありません。

 

実際、エホバ神はこれまでも約束を果たしてこられたのですから、地上を楽園にするという約束も果たしてくださると確信することができます(民数記23:19)。

さてこの民数記23:19は以下のような記述です。

*は人でないゆえに偽りを語ることはなく+
人の子ではないゆえに悔やむこともない+
自ら述べてそれを行なわず,
自ら語ってそれを果たさないことがあろうか+

上記の文章すべてに根拠がありません。「神は正しい、だから間違ったことも言わないし、誤らないから後悔することもない」というエホビアンの前提が事実だったら、という仮定に過ぎません。

これまでも約束を果たしてこられた、というのは本当でしょうか。果たされなかった約束もありそうな気がしますが(今度調べてみます)。

 

「神の言葉は生きている」
この章でこれまで考えてきたことから、聖書がまさしく類例のない書物であることがはっきりと分かります。

分かりません!これまでにも解釈や引用に間違いがあったため、むしろ疑いが増してきています。

 

これ以降は特に突っ込む必要がないと思ったので、今日はここまでとします。

さて、次回はP27「神は地球についてどんな目的をお持ちですか」
だそうで。さてどんなツッコミができますか???エホビアンでない方、助けてください。