子供たちは俺に「従っている」わけではない!
ちょっと前に、きっかけは忘れたのだけど妻とケンカをした。
その中で妻が言ったのは、
「あなたは冷たい。あなたは子供の頃両親から愛情を受けずに育ったんじゃないの?」
「あなたはいいわね。子供があなたの言うことに従ってくれて。」
・・・ため息。
自分が冷たいのは認める。個人の資質はあるだろうけど、それ相応の努力もせずに音を上げ、自分に不利なことを人のせいにする輩に対して優しくなんてできない。
それ以前に、40過ぎて今の自分の成り立ちを親のせいにすんな!と叫びたくなった。
個人的に親に恨みなどない。
父は仕事人間だったので、一緒に遊んだ思い出はそれほどない。でもさみしいと思ったことはない。
自分が生まれた頃の実家は、祖父母の娘(自分にとってのおばさま)がいたり、住み込みの居候さんがいたりと、かなりの大家族だった。母も仕事に出ていたので、兄弟の面倒は祖母がみてくれていた。
母は相当忙しかったはずだが、誕生日には仕事を休んで誕生日パーティーを開いてくれた。同級生を呼び、ごちそうを作ってもてなしてくれた。
叱られたこともたくさんある。でもそれ相応の理由があってのことだったはず。理不尽なことで叱られた覚えはない。
何よりもありがたかったのは、根拠のないことで行動を制限されなかったこと。
精神的な抑圧がなかったというのはホントありがたかった。
元々脳天気なB型人間だったので、小学校の頃は同級生にいじめられても、一晩寝るとすっかり忘れて元気に学校へ行く、という状態だった。
さて妻はといえば(これまでの行動、お義母さん、お義姉さんの話から推測すると)、相当抑圧された人生を送ってきたようだ。
中学校の頃に父親を亡くし、それからは母親が家族の支配者として君臨していたらしい。
母親に逆らえば容赦のない暴力(まあビンタ程度?)が加えられ、台所の使用は禁止(つまり自分で料理を作ってはいけないということ、娘に普通するかね)。生活のありとあらゆることで母親の抑圧があった模様。
高校・大学・就職先も実家から近かったため一人暮らしの経験もなく、結婚するまで母親の干渉が続いていた。
そんな状態だったので、妻は何かに依存しないと生きていけない人間になった。
結婚前までは母親に依存する生活。本当はたまらなくいやだったのだろうが、母親なしでは生活できない状態だったため、依存せざるを得ない状態に。
自分と出会って依存の対象が自分に移った。自分を信じていれば何もかもうまくいく、そう思い込んでいたのだろう。
そう世の中は甘くない。
結婚してからも依存体質の抜けない妻に嫌気がさした。当然態度は冷たくなる。
妻としては、すがりついた相手に突き放されて途方にくれた状態だったのだろう。
子供が生まれてからはさらに関係が悪化した。
すがりつく存在を探していた妻は、運悪く(それも自分がきっかけで)エホビアンと接触した。そして自分のすべてを委ねる存在(エホバさん)に遭遇した。
結局妻の依存体質は抜けていない。エホバに裏切られればまた別の絶対的存在を探してすがりつくのだろう。そんな親に振り回される息子たちはいい迷惑だ。
妻が「息子たちが自分に従ってくれていいわね」と言ったのは、純粋な嫉妬だろう。
自分が努力している(つもりな)のに息子たちが自分の言うことを聞かないことに対する怒りもあるのだろう。
しかし妻は大きな勘違いをしている。
息子たちは俺に「従っている」のではない。
息子たちは俺を「信頼してついてきてくれている」のだ。
妻には決して言わないが、自分は子供たちに寄り添うようにしている。
肉体的にではなく、精神的にだ。
息子たちの話を、分からなくても聞く。可能な限り分かろうとする。
息子たちの行動を「理解不能」だとして無意味なものと思わない。
息子たちの言動を「無駄なもの」だと思わない。
可能な限り、息子たちと一緒の行動をする。
他人に迷惑がかからない限り、できるだけ息子たちの自由を尊重する。
子供は可能性の卵だ。たくさんの可能性の芽を持っている。成長していくに従って興味のある芽を伸ばし、興味のない芽を枯らしながら成長していく。
親の抑圧は、将来育つかもしれない可能性の芽を無慈悲に切り捨てることになるかもしれないのだ。無意識のうちにやっているのかもしれないが、個人的にはしたくない。
妻は、抑圧されて生きてきた自分を客観的に評価せずに、親と同じことを息子たちにしようとしている。
いわば、イソップ童話の「北風」だ。
旅人のコートを脱がせるのに寒い寒い風を送る勘違いさんだ。
自分は違う。
「太陽」とまでは言わないが、自分の要望を100%通すのではなく、相手の要望もふまえた上で妥協点を見つける。そして可能な限り子供の要望を尊重する。
自分を尊重してくれれば、相手を尊重する態度も生まれる。
そして自分はあまり無理強いをしない。
エホバファンクラブの会報にはしばしば「子供は従順です」という断定的な記述がある。これを真に受けた親が、「子供は親に従順でなければならない」と勘違いすることに悲劇の元がある。「自分の言うことに従わせることがエホバの意志なの」などと思われると、そのとばっちりは子供たちが喰うことになる。
決して妻には言わない。エホビアンである限りは。
「子供たちは、父ちゃんと一緒にいると楽しいから父ちゃんについてくるんだよ!」