クリスマス会
12月12日の朝日新聞「天声人語」の中で、アメリカではこのところ自由にクリスマスを祝えなくなった、との記事があった。様々な宗教に対する配慮、ということらしい。
自由の国アメリカも少しずつ窮屈な国になりつつあるのかなあ、と思いつつ、「他人に強制することなくお互いの信仰を素直に表現できる世界」になれればいいとも思う。
エホビアン批判をしている自分の書くことではないが(笑)。
さて、14日は下の息子の幼稚園でクリスマス会があった。
妻は下の息子の行事予定表を貼り出さない。貼る場所がない、という言い訳も立つだろうが、上の息子の小学校の予定表は冷蔵庫に貼ってある。
恐らく行事予定をさりげなく自分に見せないための作戦なのだろう。
そうやってこれまで何回か、誕生日会のある日に幼稚園を休ませていたようだ。息子に行く意志があるにもかかわらず。
こちらも妻の策略に可能な限り対処すべく、妻のいない時に、ファイルに挟んだ予定表を見て作戦を練る。そして14日はクリスマス会と誕生日会の同時開催!!!
当日はたまたま休みだったので、家を出てから幼稚園に送る道中で話をした。
「クリスマスを祝わないのはお母ちゃんの宗教で、◯◯の宗教じゃあないんだよ」
「◯◯が楽しいと思うことはやっていいんだよ」
集団生活の入り口である幼稚園。そこでつまらぬ屁理屈によって子供を孤立させる親なんぞ、虐待ともいえる。
教室の前で担任の先生にもお願いしておいた。
別れ際に笑顔で手を振る息子。自分も大きく手を振った。
さて、昼間用事を済ませて帰宅すると、息子も家にいた。
「おとうちゃーん!」と叫んで玄関にダッシュしてくる。そこで第一声。
「おかあちゃんがね、」と続いた言葉の先は、妻がクリスマス会でもらったプレゼントの袋を開けることもせず「もっといいものあげるからこれは捨てるよ」と言って押し入れに放り込んでしまったということだった。
子供たちの楽しいイベントに過ぎないのに、何を毛嫌いするのか。心の中で「バカじゃないの」と悪態をつく。袋の中には楽しく遊べそうなおもちゃが。
その晩妻は不機嫌だった。いつもは名前を呼んで「かわいー」と言っている下の息子にぞんざいな態度で接していた。
「お前さんの愛情なんてそんなものなのよ」と思いながら夕飯をほおばる。
自分の趣味で入ったサークル活動の規則を息子に強制することで、息子たちがどれだけ悲しい思いをするかが分かっていない。「命がかかっている」などと言うのは自分だけにしておくれ。紙に書かれた以外では復活の約束が果たされたことはないのだから。
自ら生活をつまらなくするならどうぞご勝手に。息子を巻き込まないでくれ。
息子たちには世界が楽しいものであること、そして自分で楽しくできるものだということを教えていくから。