楽園行きのバス
バスのドアを開けると、小ぎれいだが地味で古びた服に身を包んだ小さな老婆がこちらを見上げていた。
「これでこのバスには乗れますか?」
と老婆は色あせた橙色のきっぷを自分に見せた。
「ああ、これは1914年に期限がきてますよ」
「あら、私間違えてしまったみたい」
そう言うとバッグの底をいじめるように探って別のきっぷを取り出した。
「あれ、これも期限切れだ。1975年に切れてます」
「ああ、それじゃなくてこっちだった」
彼女はもう一枚のきっぷを自分に提示した。
「『期限:すぐきますが、いつになるかはわかりません』って、これうちじゃあ取り扱ってないきっぷですねえ。目的地も『楽園』になっているし。うちの路線にそんな停留所はありませんよ」
「そうですか・・・」
老婆は少し失望した様子で、自分に示したチケットをバッグに丁寧にしまいこんだ。
「まだここでお待ちになるんですか?」
思わず老婆に尋ねてしまった。
老婆は
「ええ、きっと来ますから」
と頼りなくも、できる限り精一杯の笑顔をこちらに向けた。
自分も分かるか分からない程度の目礼をし、ドアを閉じた。
バックミラー越しに見える小さな体が、遠ざかるにつれてますます小さくなっていくようで、このまま消えてしまうのではないか、と哀れな気持ちになった。
録音アナウンスの再生ボタンを押した。
「・・・次は・・・国会館前。
このバスは「現実」方面ゆきでございます。「楽園」方面には向かいません。お客様のお好きな停留所でお降りください。恐らくバスが来るを待つよりも、お客様ご自身で歩まれたほうが早く到着できるものと思われます。ご乗車ありがとうございました。」