中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

もちろんその運賃は支払っているんでしょうね?

帰省からのUターンラッシュ

5月5日は道路も線路も混む。

なおじ一家は渋滞で遅くなるのを承知で高速バスで帰ることにした。

乗車時点で30分以上の遅れ。まあそれでも9時くらいに自宅に着けばいいと思っていた。

ところが・・・

高速インターで、直前で開くはずのETCゲートが開かず、バスが急停止するというトラブルが発生した。それだけならまだしも、たまたま座席に立っていた子供がはずみで転げ落ち、頭にケガをした。

怪我人の搬送やバス会社への連絡などで時間を取った上、事故の検証のためバスを乗り換えることに。すでに2時間近い遅れ。

このままバスに乗った場合、渋滞も見込んで東京着が21時、それからご飯を食べずに帰ったとしても22時半・・・現実的に考えて厳しいと思った。

6日は子供たちの学校がある。あまり帰宅が遅くなると次の日に差し支えてしまう。

 

結局代行のバスには乗らず、最寄りの駅から新幹線に乗ることにした。

かなり混んでいたものの、子供と妻はバラバラに空いている座席(すべて3人がけの真ん中)に座ることができた。

座席も空いていなかったのだが、自分は息子たちを見守るために、下の息子の座席そばの通路に立った。

 

次の駅で上の息子の隣に親子連れが座った。娘さんはちょうど上の息子と同じくらいの年齢。お母さんの方から息子に話しかけてくれて、すぐに仲良くなった。上の息子もサービス精神があったらしく、お祭りで買ったアメを娘さんにあげたらしい。お返しにとせんべいをいただいた。

娘さんのお母さんは英語が堪能らしく、通路に立っていた外国人の会話に自然に入って談笑していた。

語学の苦手な自分は心の中で(すげー!)と感心していた。そう、世の中にはすばらしい能力を持ったお母さんが満ちあふれているのだ。実はお父さんよりも仕事のできるお母さんの方が多いのかもしれない。

 

さてそれは置いといて、今回のタイトルについての話をしなければ。

 

電車の座席に座った時、荷物をどうするか、というのは人によって対応が分かれると思う。

1:抱えて持つ

2:網棚にのせる

3:通路に置く

4:空いている座席に置く

 

今回問題だと思ったのは「4:空いている座席に置く」という対応だ。

車内が空いているのであればそれでもよいだろう。
しかし車内が混んできてもその状態を続けているのはどうなの・・・?

日本人ってそういう時に「荷物をどけてくれませんか」と言える人がかなり少ない、と思う。

3人がけの真ん中の席に荷物が置いてあると、黙って荷物をどけて座るなんてことは通常の日本人ではできないだろう。

今回新幹線の3人がけ座席の真ん中に鎮座ましました荷物。両脇の乗客はどちらも寝ている!!!

少々勇気を振り絞り、通路側のお兄さんのももを叩いて「すいません、そこ(真ん中)の座席、空いてますか?」と聞いたところ「(その荷物は自分のじゃないけど)いいんじゃないですか」と少々不機嫌そうに一言。ということで窓際のイヤホンつけて(周りの声が聞こえないようにして)寝ているお兄さんに「すいません、この席空いてますか?」と尋ねると、「あ、はい」と荷物をどけてくれた。

後で妻に「すみません」と侘びを入れていたそうなので悪気はなかったのだろうけど・・・荷物の置かれた座席を見て「座りたいので荷物をどけてください」と堂々と言える日本人はどれだけいるだろうか。

 

はっきりと言わせてもらうが、座席に荷物を置く奴は、誰かが座席に座れるはずの権利を奪っている。

荷物を置いた本人は「言われればどける」つもりでいるだろうが、奥ゆかしい日本人はなかなかそれができない。強面のお兄ちゃんが置いた荷物ならなおさらだ。

いつか同じような状況で「荷物をどけてもらえますか?」と言った時に相手が「なんでどけなきゃいけないの?」と言われたらこう返そう。

「あなた、荷物分の乗車券を買ったんですか?それなら何もいいませんが、運賃を払ってない荷物に座らせる席はありませんよ」