中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

生きる目的ってなくちゃダメ?

世の中の水面に浮き輪を浮かべて、そこにお尻をのせて漂っているうえになおじです。

 

エホビアンになった妻が「人生に目的がなければ生きる意味がない」ということをどこぞのケンカで口走っていたのを思い出しました。

本人は紙様に目的を与えてもらってさぞやうれしかったんでしょう。

「自分は価値のない存在だ」
「自分は生きる目的が見つけられない」

なんて悩んでいる方はけっこういるでしょう。就職活動で企業の面接官からほとんど人格を否定するようなことを言われて心が折れてしまった方もいるでしょう。

 

でもさ、今ここで無理やり生きる目的を作らなくってもいいんじゃないかなあ。

少なくとも誰か(何か)に「人生の目的」を押しつけられる必要はないんじゃないだろか。

 

確かに生きていく上で目的がないと不安になるかもしれない。でもそれは言い換えれば「不安を消すために目的を定める」ことになってしまわないだろうか。

 

幼稚園児や小学生は「人生の目的」を持っているだろうか。持っていなくても毎日楽しく過ごしている。じゃあ人生に目的って必要不可欠なものなのだろうか。

「不安」を抱かなければ、無理に「人生の目的」を定めなくてもいんでないの?と楽天家のうえになおじは思うのだ。

 

じゃあ「自分は意味のない存在だ」などと思って生きることはない。

 

人も物も、その周りの存在に多かれ少なかれ何らかの影響を与えている。

クロアゲハの幼虫がミカンの葉を食べることでミカンの成長に影響を与える。

木にたかった毛虫を鳥が食べれば木は衰えずに済む。しかし毛虫を鳥が食べなければ木は枯れてしまうかもしれない。

 

あなたの書いた絵が誰かの心を揺さぶるかもしれない。その誰かが美術家の道を進み、将来偉大な画家になるかもしれない。

あなたの口ずさんだメロディーを聴いた誰かがそのメロディーを元にメガヒット曲を作るかもしれない。

あなたの笑顔を見た誰かが心癒され、明日生きる力を得るかもしれない。

 

目的があろうとなかろうと、生きていく限り、誰かに、何かに影響を与えている。

意味も目的もないかもしれないが、あなたの人生が必ず何かに影響を及ぼしている。

それだけであなたは「意味のある存在」にならないだろうか。