夜の宿題
帰宅して自分の部屋に入ると「子どものしつけ こうすればうまくいく」という紙の雑誌のコピーが置かれていた。
「子供が賢い選択ができるようにするには、どうすれば良いか書かれています。
読んでみてね。」とのメモ。
「が」が連続してるよ、2度めの「が」は「を」にした方がいんでないの。とどうでもいいケチをつける。
ツマの息子隷従作戦はひたすら続けられているのだろう。賢い選択ができる?賢い選択ができる子供なら、エホビアンのいうことなど聞かないだろうよ。
ただ、賢い選択ではなくとも、自分の意志を持った選択をできる子供になってほしい。
選択に後悔して「だって母ちゃんがそっちだって言ったから」なんて言われたら、選択は賢くても選択した人間は愚か者だ。
どうもこの記事を読んでいると、80年代のムチ全盛の時代を復刻してもいい、になってしまいそうで怖い。
全体的には「こらしめは必要です。こらしめがないと子供がゆがみます。親の権威を落とさないように教育すべきです。」てなことだろう。
ただ「あなた方の子供をいらいらさせて気落ちさせることのないようにしなさい。」という言葉は大切だと思った。
大人のエゴを押しつけて子供の自由を奪うようなマネをしたら「いらいらさせて気落ちさせること」になるだろうから。
仮になにかを子供に強要するにしても、正当な理由が必要だ。
「聖書に書いてあるから」だとか「雑誌に書いてあるから」というのは理由にならない。自分のことばで説明できないなら、その理由に正当性はない。
雑誌のことなんざどうだっていい。子供たちが自尊心を持って、自分の意志を持ってくれることが今の望みだ。
ツマが「自己否定爆弾」を落としても、それを払いのける力を身につけてくれい。
あとは経済的・精神的に自立できてくれれば何も言わない。親の面倒はみなくていい。仮に自分がのたれ死んでもいい。息子たちが新たな生命を育んでくれればそれでいい。