共有するということ
ツマの入水と同時期に、会社(部署)の今後をどうするか、ということで一悶着あった。
上司にそそのかされたとはいえ言い出しっぺが自分だったため、戦犯的な立場になってしまっていた。
ところが本日の会議で部署の多くの方に状況が共有されたことで、精神的にすごく楽になった。問題は解決していないが、「ごく一部の問題」ではなくなり、「部署全体の問題」ということになった。そう、自分だけで悩む必要がなくなったことが大きい。
ここでブログを書くことで、「個人の悩み」が「みんなの共有する誰かの悩み」に変わる。
記載されるコメントをありがたく思う。
さて、22時に帰宅すると、下の息子がまだ起きていた。
木曜日は集会の日。帰宅が21:30を過ぎるのだが、その日はいつもよりも遅くまで起きていた。
下の息子が「セミが床に転がってたから、拾ったら生きていたので離した〜」だって。
自分が「(下の息子)はひとつの命を救ったんだよー。とってもいいことをしたんだよ」と言うとにんまり笑った。
翌朝上の息子も同じことを言ったので、下の息子へ言ったのと同じことを返した。
ほめられて悪い気分じゃないだろう。
生き物を慈しむ気持ちだけはずっと持っていてほしいものだと思う。
そういえば、楽園が来たらゴキブリやコバエはどうなるのだろう。
人間に害を与えない生物になるのなら、ゴキブリやコバエと一緒に生活することもできるだろうと思うのだが、JWの皆様はどうお考えでしょうか?