中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

またまた交わってしまいました〜

日曜日の夜、JW主催のスポーツの集まりに参加した。

宗教臭のほとんどない集まり、かつ息子たちが行きたがっている、かつ自分も運動したい、ということもあり、表面上シラっと、内心ちょっと楽しみな集まり。

 

寒波襲来とあって、体育館はけっこう冷える。おまけに自分、体育館シューズを忘れたため、靴下での参戦。床の冷気が足から登ってくる・・・

 

前半はフットサル(自分のリクエストに対応してくれました)。

老若男女ごちゃまぜでボールに群がるようなゲーム展開。圧倒的な実力差がないせいでゲームは攻守がコロコロ入れ替わる楽しいゲームだった。

靴下参加の自分は最初キーパーだったものの、寒さに我慢できず途中で交代し、前線に。

あまりうまくない上に靴下で走り回るのにはかなり無理があり、ゲーム中何回も転んだ。シュートも決められず。それでもアシスト的なプレイは1,2回できたので個人的には満足。

 

後半は下の息子のバドミントンとボール遊びに付き合ったため、あまり体を動かさずに終了。

 

これは個人差なのだろうけど、スポーツはストレス発散に最適だと思う。

ボールを追いかけ回してシュートを決めたり、パスを受け損ねて転がる。おもいっきり体を動かしていると、うまくいこうが失敗しようが楽しく思える。

それにスポーツには基本的なルールがある。ローカルルールも時に存在するが、大勢に影響するものではない。そしてそのルールは理不尽なものではない。

 

JWの理不尽きわまりないルールに辟易した皆様がストレス発散にスポーツを楽しむのは至極当然ではないか・・・というのはあくまでも個人的な推測。

 

これも個人的な推測なのだが、会衆の中には「スポーツなどもってのほか」なんて思っている方もいて、子供を参加させない親もいるだろう。親が運動好きでなければなおのことだ。うちのツマは「会衆の主催する催しはなんでも正しい」と思っているようなので、その辺は都合がいい。

しかし人間の「他の人よりも優れたところを見せたい」という欲求は紙には抑えられない。スポーツは戦いではなく、あくまでも「競う」ことなのだ。優劣を決めるのは悪いことではない。自分よりも優れたものの存在は、それを自覚した者の成長を促す。

 

今回もものすごい身体能力を持つ若者を見た。特に中1?で優れたサッカーセンスを持っていた男の子。おいしい場所にうまいこと走りこんでくるセンスには脱帽。本人はバレー部に在籍しているようなことを耳にした。その話をした母親らしき婦人が「この前の社会の時間に証言させましたの」と聞いた時はうんざりしたが。

参加者には若い女性もけっこういたが、その中にショートパンツで参加した人も!

足の細い方だったので、かがんだり足を上げると太ももの奥が見えそうな状態!!!

自分も含めて若い男性連中はずいぶん励まされたことだろう(何が?)。

 

そんな眼福をいただきながらスポーツの集いは終了した。

 

あまり関わらなかった方から握手を求められるのはいつものこと。しかし今回はシューズを持ってこなかったことが広まっていたのか、けっこうな方々に声をかけられた。そのまま一緒にどこかの居酒屋で飲みに行きましょうか、という気になりそうだった。

 

ホント、おかしな教義が絡まなければ健全なコミュニティになれるのに。

ただ、ここに参加している方々は精神的には比較的健全なのかもしれない。

自分の知らないところでは、もっとひどい状態が存在しているかもしれないのだ。