中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

My Label

パソコンのファイル管理に「フォルダ」という概念がある。

PCの記憶装置(主にハードディスク)が大元で、その中に複数の大きなフォルダが存在する(システム、ライブラリ、ユーザーなど)。で、そのフォルダの中にはさらにいくつものフォルダが含まれており、そのまた先にフォルダがあったりして、最終的なフォルダの末端にファイルが収められている。

 

ただこれはあくまでも使っている人に「そう見える」ようにしているだけであって、実際の記憶装置には、たくさんのファイルがでたらめな順番?で書き込まれている。大きなファイルになると、いくつか細切れになって、記憶装置の空いている場所にデータが書き込まれたりする。

ファイルがある特定のフォルダの中に入っているように見せているのは、ファイルがどのフォルダに含まれているか、の情報を整理した結果に過ぎない。

 

さて、Gmailには「ラベル」という概念がある。

これはメールにラベルをつけて管理するものだ。

1通のメールにひとつのラベルしかつけられないわけではなく、複数のラベルをつけることで、1通のメールを様々なグループに含めることができる。

パソコンのファイルでも、Aという仕事に関連したファイル、Bという仕事に関連したファイル、AとB両方に関連したファイル、がある場合、AとB両方に関連したファイルは

「A関連」というフォルダに含める必要があるし、「B関連」というフォルダに含める必要もある。ファイルを分身させることはできない(厳密にはできる)ので、AとBに関連したファイルは「共通」という名の無秩序なフォルダに放り出されることもある。

 

「フォルダ」という概念に慣れきっていた自分は「ラベル」という概念に戸惑った。

しかし使ってみると「これはいい!」と感じた。

メールに限ってだが、ラベルという条件で、1通のメールを複製することなく様々な条件の中に重複させることができるのだ。

メールにA,B,C,D,Eのラベルをつけておけば、ラベルAのついたメールでくくることができるし、ラベルEのついたメールでくくることもできる。「ラベルA,C,Eのついたメール」でくくることもできる。

 

で、何が言いたかったかというと、ブログで記事を書いている自分を含めた皆様は、ある特定のフォルダに含まれている存在ではなく、たくさんのラベルをつけた存在じゃあないか、ということだ。

 

自分が少々JWに関わって(絡まれて)おり、情報収集の意味も含めてJW関連のブログの読者になっている。それらをすべて「JW関連」のフォルダにまとめて他の属性をなくしてしまうとかなり窮屈になりそうだ。

JW関連のブログを書いている人の中でも趣味の記事を書いたり、食べ物の記事を書いたりしている方がいる。その趣味はJW関連の中だけではなく、もっと広い範囲にかかるものだ。記事を書く人のその時々のテーマによって、いくらでも違うラベルをつけることができる。そしてJWとは関係のない方々とつながることができる。

最初につけたラベルにこだわることはない。古いラベルは捨ててかまわないし、たくさんの新しいラベルをくっつけたっていい。どうでもいいこだわりに縛られるのなら、「@こだわり」というラベルは捨ててしまっていいんじゃなかろうか。

 

自分は2つほどしかラベルをつけていませんが、それなりに楽しく記事を書いています。

カテゴリは気にせず、気に入った記事にはコメントさせてもらいます。

どうぞこれからもごひいきに願います。