暗躍
3月12日の晩、息子たちと宝探しごっこで遊んでいた。
宝物(ぬいぐるみ)がどこかと何気なく開けたのは息子たちの集会用リュック。
そこに何か書かれたノートがあったので見てみると、写真のような文章が書かれていた。
25日のアスレチックに参加するな、という「お願い」と書いた命令書だ。
ツマがエホビアンになってから「悲しい」という言葉をよく使う。
それを聞くと虫唾が走る。感情的な言葉で相手の同情を誘おうとする魂胆がミエミエで、言った次の瞬間に蹴り飛ばしたくなる。
自分が悲しいだけならともかく、ほとんど他人事にも関わらず、エホバやイエスやみつかいや油そそがれたクリスチャンたちを引き合いに出して「悲しみます」を使う。
エホバに会ったこともないのに、イエスに会ったこともないのに、油注がれたクリスチャンが誰かも知らないのに、そうやって実際に関わりのない存在が自分と同じように反応している、というのは詐欺じゃあないの?
それにイエスだったら悲しみはしないでしょ。ほとんど知識はないけれど、イエスだったら許すんじゃない?自らの心に正直であれ、とでも言うのではなかろうか。
大体元JWのどこが危険なのか知りもしないで毒蛇に出会ったかのようなヒステリックな反応にこっちが驚いたよ。エホビアンにとって排斥者がそれほど憎むべきなのか、と非信者の自分には理解しきれない。まあ組織の悪い部分を知っている元JWは、組織にとっては危険な存在なのだろう。
しかしエホビアンや組織に対しては、抜けた方々よりも自分の方がよっぽど毒を吐いているというのに、金ヅルだけは逃さないようにしてるのね。
この手紙は上の息子に書いたものだが、ツマ曰く「お父ちゃんが怖い」存在にされているようだ。へー、お父ちゃんって怖い存在なんだー。自分に言わせればダメダメ宗教を強制して、ご飯抜きだとかおやつ抜きだとか脅すツマの方がよっぽど怖い存在だと思うがね(実際息子がどう思っているかは分からないが)。
エホバに祈らなくてもいいから「いやなものはいやだ」と言える勇気を持ってほしい。とはいえ小学3年生にそんなことを言わせるのは酷だ。
この子が自分の子というのならお互いに子供を引っ張ってみるといい、と大岡越前に言われ、二人の母親は子供の両腕をつかんで引っ張り合った。両腕を引っ張られて痛いとなく子供。そこで片方の母親が腕を放した。もう片方の親が子供を引き寄せ「やった!私がこの子の母親だ!」と喜ぶところに大岡越前が「待て、母親はこちらの方だ」と手を放した母親を指す。「何でだ!」と食って掛かるもう片方に、
「本当の母親なら痛がる子供を引っ張り続けたりはしない」
・・・・・これにて一件落着ぅ〜
今の世界に大岡越前はいない。引っ張っていた手を放したらそのまま息子たちが帰ってこないのではないか、という恐怖心がある。
現に下の息子はかなりやられちまっている。
「エホバの証人をバカにする人達のところは行きたくない」とはっきりと言う。そしてすでに将来バプテスマを受けるつもりでいる(!!!)
下の息子の登園拒否も仕組まれているのではないかと思うようになってきた。少なくともツマは息子が登園しないことを喜んでいるように見える。
どうすればいいか、何ができるか、妙案は思い浮かばない。でも諦めてはいけない。熱くなってもいけない。記事を書きながら自分に言い聞かせる。諦めるな。