バベル考
ブリューゲル「バベルの塔」展を東京都美術館でやっているようで。
ボーとその絵を見ながら考えていると、バベルの塔を建設するという記述がどこにあるのか気になって探してみた。ああ、創世記11章だったのね。
http://www.yoyoue.jpn.org/bible/gen11_36.htm#01011001
ああ、そうなんだ。人々の言葉を混乱させて天に登る塔の建設を阻止しようとしたんだ。
でも、冷静に考えると、そんなことでバベルの塔の建設が止まったとは到底思えないのだ。いろいろ腑に落ちない点がある。
例えば1000人がバベルの塔建設に携わっていたとして、その1000人が別々の言葉をしゃべるようになったとしよう。
それがどうした。
天に登るほどの塔を建てるという目的は変わらない。言葉が通じなくとも絵を描けばつじるだろう。文字のない時代は絵やジェスチャーで意思疎通を図っていたのだ。
そして現在、通訳という仲介を経て、言語の違う人々の意思疎通は図れている。
さらに疑問に思うのが、現在宇宙にまで活動範囲を広げている人類に、なぜ神が干渉しないのか、ということだ。
ブリューゲルのバベルの塔の絵を見ると、塔に雲がかかっている。そばに描かれている船と比較すると、彼らが天の高さを相当低く見積もっていたと思われる。宇宙まで塔を建てたら息ができなくなる、というのはそこまで行けば自ずと分かるだろう。酸素ボンベや宇宙服をその当時開発している、もしくは現状に合わせてスーツを作るなどの技術があれば別だが、神が人間に脅威を覚えることなどないはずだ。
そんな状態だった?創世記の人々に対して言語を分けるという罰?を与えた神が、宇宙にまで辿り着いた人類になぜ罰を与えないのか?少なくとも人類が宇宙に進出して40年ほど経つが、神の住まいを見つけた宇宙飛行士はいない。
「神の住まう場所は人類の到達できる場所ではないのだ」という主張があったとする。
それなら創世記11章のような「言語を分断する」行為を行う必要はない。
辿りつけぬ人間を鼻で笑いながら(鼻があったらだが)せんべいでもかじっていればいい。
まあ所詮人間の創った紙、いや神。そこら辺は人間様の都合のいいように解釈されているんだろうー!人間の感覚で書くから神が脅威を感じるなどと書くんでしょ。神が本当にいるとしたら、人間程度の生物が何をしても動じないんじゃあないかな。
いつか軌道エレベーターなんてものもできてしまうかもしれない。バベルの塔を超える技術を得た人類は、いつ神に遭遇できるであろうか(いや、ない)。