ツマのエゴ>>>息子たち(キュー)<<<チチのエゴ
春休みは宿題がない。
宿題がないということは好きにすればいい、と自分は素直に思うのだが、ツマはそう思わないようで。
3連休が終わった後の仕事に出かける前、リビングでツマが「あんたたちは遊びすぎ!勉強しなさい!」と叫ぶのを聞いた。
自分に言わせれば、いやなことを無理矢理やらせても身につかない。
ツマ自身も勉強をいやなもの、苦痛なものと捉えているのが分かる。恐らくツマは勉強が好きではなかった。
「がんばれー」というのはその証拠。楽しいことならそのセリフは出ない。大好きな料理を食べるときに「がんばれー」とは言わないでしょ。
自分はその言葉があまり好きではないので使っていない。
そもそも学習をいやなもの、という先入観を与えてはいけないのだ。学校の宿題だって楽しんでやれるに越したことはない。楽しんでできれば次をやりたくなる。宿題で物足りなくなれば、教科書の先を読んでもいいだろう。市販の問題集をやってもいい。
自分の小学校時代、宿題はやったがそれ以外の余計な勉強はまったくしなかった。
宿題をできるだけ早く終わらせて、その後は祖母とTVを見たり本を読んだりするのが日常だった。
それでもそれなりの今を送れている。
一般人のツマならよくある教育ママと片づけられるが、話がこじれるのは彼女がエホビアンだからだ。
月曜日のケンカの火種は息子のオムツだった。
朝食前にゴミ出しの準備を済ませていたところに、昨晩息子の使ったオムツをゴミ箱に捨てようとしたら、「ちょっと、そこに捨てないでよ!」とケチがついた。今日捨てるゴミ袋に入れてくれ、だそうで。
「来週出すゴミが少し増えるだけじゃないの」と言っても
「私が同じことしたら父ちゃん怒るじゃないの」と突っかかる。
そんなケンカから流れ流れてツマが言ったのが「1号は勉強ができない」だった。
国語が特にできないのだと。
そりゃそうだろう、(内容は置いといて文法的に)矛盾だらけの雑誌を何の疑問も抱かず読むツマの国語指導じゃあどうしようもない。
世界の終末を期待しているはずのツマが「息子が勉強できなくて大学進学できなくてもまともな職業に就けなくてもいいの?」と聞く(内心はい?と思いながら)。
「自分が必要だと思えばやるようになるんじゃない?いやなものを無理矢理やらせても身につかないよ」と俺。
「じゃああなたは1号が就職できなかったら責任取れるの?」
「20歳過ぎた後のことは知らん」
「何も面倒見ないで追い出すんだ、じゃああなたは1号にどういう人になってもらいたいの」
「まあ自分でお金を稼いで生活できる人間になれればいいよ」
その後の会話は忘れた。
ツマの思考がどれだけねじくれ曲がっているか定かではないが、老後息子たちに養ってもらいたいとでも思っているのだろうか。
それならエホビアンを辞めるのが一番現実的にいい方法だと思うがね。
まあ仮にJWを辞めてもツマの強迫的で押しつけがましいところは変わらないだろう。
息子たちに期待する、どころかすがりつき、へばりつくような態度は息子にとって害だ。
エホビアンなんだから、たとえ息子に見捨てられて野垂れ死ししようと、楽園の希望を持って笑って死ね、と言いたい。もちろん言わない。
このブログを息子たちが読むことはないだろうが、息子たちよ、自分の好きなことをやって生きていけばいい。それをしながら、生きていけるだけのお金が稼げれば満足だ。
運良く誰かを養えるだけの稼ぎが得られるなら、自分が好きで、自分を好きでいてくれる伴侶を持てばいい。そしてもう少し余裕が持てるなら、未来を受け継ぐ子供を作ればいい。
親のことは気にしなくていい。子供たちが幸せに生きているなら、父ちゃんは野垂れ死にしても満足だ、多分。