カタツムリの自由、ナメクジの自由
朝日新聞の木曜朝刊に、「福岡伸一の動的平衡」というコラムが掲載されている。
6月16日の記事は「家を持つ自由 持たない自由」というタイトル。
家を持つのがよいか、賃貸住宅に住んで住み替えるのがよいかを、生物学的に考察する、といえばいいのか。
結論としては「選択の自由があっていいんじゃないの?」ということだった。
殻を維持するために多大なエネルギーを消費しているらしいカタツムリも、殻を捨てたナメクジも、お互いに干渉することなく共存している。カタツムリもナメクジも現状で生きていけるという事実。
キリスト教だろうが仏教だろうがイスラム教だろうが、その宗教でお互いに干渉することなく共存できればそれでいいのかもしれない。
人類は残念ながら、カタツムリやナメクジに及ばない。
紙は人間に「すべての生き物を支配せよ」と言ったらしいが、人間の愚かさとそれ以外の生物の慎み深さを比べると、人の書いた紙はあっても神様はいないな、と余計に確信する自分であった。