子供と親の関係をボーと考える
6月19日の朝日新聞「折々のことば」から
「政治を笑い、宗教を笑うことができるのは、とても幸せな社会である」
日本は比較的近いところにいるが、政治に関しては笑いどころのないつまらぬ流れになりつつある。
宗教についても、関わりのない方々は他人事とヘラヘラしていられるが、関係者にとっては笑えない現実があったりする。
さて、タイトルの内容に戻る。
個人的にはこう思った。
「子供は親に迷惑をかけながら、他人に迷惑をかけない人間に成長していく」ようにしたいなあ、と。
どこぞの宗教は、紙から拾い上げた「紙に従う、親に従う」という言葉を絶対的信条として子供になすりつける。何もしらない子供はいやいやながらもそれを受け入れてしまう。親を喜ばせるために自分が我慢をするようになってしまう。
ホントはそうじゃない。もっと子供の自由にさせるべきだ。
親は子供が最悪の事態にならない程度に見守っていればいいのだ。
自分のエゴに従って子供たちを自分の作った型枠にはめておけば楽だろう。しかし子供たちだってその型枠にはまったままでいようとは思わない。いずれ知恵を使って這い出てくる。
親は子供を少し離れたところから見守れればいいと思う。何かはみだしそうになったら、指で軽く押せばいい。
あれこれ子供たちに指示するのは、抑圧される子供たちはもちろん、自分も疲弊する。
放っておいた方が親も子も楽しくなれる、ということをエホビアンたちは忘れてしまっている。
子供の不始末は親が面倒をみる。それでいいのだ。子供たちはそれを見て、自分の子供たちに同じことをするだろう。
何度も書く。息子たちの自由を奪おうとする奴は許さない。紙とて例外ではない。