中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

ツマの家族まわりのこと(推測含む) 1

ツマとは結婚情報サービス(twei)で知り合った。

 

2005年の秋くらいから始めて1年近く活動してきた頃だった。

何人か気にいった人とデートをしたが、2度目、3度目くらいでお断りの連絡が来る状態。女性に会う機会はそれなりにあったが、相手に気に入られないで終わるばかりだった。

2006年の夏、帰宅途中に携帯電話が鳴った。唐突に「会ってくれるんですか?」というような内容のことをまくし立てられたような記憶がある。

お互いに会ってもいいと結婚情報サービスに連絡すると、相手の電話番号を通知してくれるのだが、相手は通知が来てすぐに自分に電話をかけたらしい。帰宅してから届いた通知を読んだ。ツマとのコンタクトの始まりだった。

 

最初は彼女の住まいの最寄り駅近くでお茶を飲んでのお話。向こうがいろいろ聞いてくるので、こちらはただそれに答えるだけ。彼女に何か尋ねたかは憶えていない。

お見合いなのにずいぶんラフな格好で、おまけに胸が大きいなあ、という印象だった。

で、その後それほど間を置かずにデートの約束をした。

 

最初のデートは中華街と横浜公園周りの散歩。

いろいろと歩き回ってご飯を食べ、またまた歩きまわってほぼ1日を過ごした。

初めてのデートだというのに警戒心がなく、むしろすがりついてくるような態度は、その時は心地よかった。ずいぶん好意を持たれているなあ、と悪い気分じゃあなかった。

 

まあそんなんでしばしばデートをするようになった。仕事の後、ほんの1,2時間会ってご飯を食べたり、休みの合った時は遠出したり。その時彼女はひたすら自分に従順だった。

 自分はといえば、自分を好きでいてくれる、というだけでよしとしていたのだと思う。自分だけを好きでいてくれるという存在に浮かれていたのかもしれない。

 

付き合い始めてから4ヶ月ほどでプロポーズ。そのまま自分の実家の家族に紹介し、東京に戻った後、ツマの実家にごあいさつ。

 

ツマの父親は、ツマが中学生の頃に病気で亡くなったそうな。詳しいことはいまいち聞いていない。ツマから父親の話はほとんど出てこなかった。

ツマには母親と1つ上の姉がいた。付き合っている時に家族の話はいろいろ聞いていたが、母親は非常に高圧的で、家族の支配者という感じ。お姉さんは大学時代に一人暮らしや海外留学を経験していただけあって比較的常識的な方だった。

一番驚いたのが、母親(今後義母と書く)が、子供に台所を使わせなかったということ。

一般的な感覚では、母親が娘に料理を教えるもんだろう、と思うのだが、義母曰く「台所を他の人に汚されたくない」から使わせなかったのだと。

おかげでツマは、婚活を始めるまでは料理をまったくしていなかった。

義母の料理も話に聞く限りではひどいものだったらしく、焦げついたり生焼けだったりは当たり前だったらしい。そんな状態で料理を好きになれるはずもなく、ツマ一家では、他人と一緒の時は外食が基本、という感じだった。これまで義母の手料理を食べたことはない。おはぎをいただいたくらいか。

 

義母の過去もあまり詳しく聞いていないが、義父が亡くなった後で親族といさかいがあったらしく、実の母親と姉くらいしか親族の付き合いがなくなってしまった模様。

結婚式に親族を招待する、という話になった時、義母が「うちは大して呼べないから」と言って招待できたのは実の母と姉夫妻、その息子さんだけだった。

自分たちの親族は母方父方とそれなりに仲が良かったので、親族ほぼ総出で出席となった。当然非常にバランスが悪かった。

まあそれでもそれなりに式は進行した。

 

宴会好きなこちらの親族は、出席した友人や相手方の親族に飲み物を振るまい歩いていた。

ところがツマ側の親族、特に義母もお姉さんもまったくテーブルから動かない。ただひたすら料理を食べているだけ・・・

そこら辺は(なおじの)母も「あれはねえ・・・」と後日話に出していた。

 

というわけで、すでにテンションの差がはっきりとしていた両家。

 

結婚3ヶ月前に入籍は済ませていた。なおじの誕生日に合わせて入籍したかったんだと。

「結婚式前に入籍してもいいの(後悔しないか)?」と聞いたはず。

ツマの返事はもちろん。

 

しかし6月に引っ越した新居で、ツマが窓も開けずにエアコンのスイッチを入れたのには驚いた。

自分がエアコンのスイッチを切って「まず窓を開けようよ」と言っても「なんで?」

 

実家では窓を開けず、外気に関係なくエアコンを回していたらしい。

人間関係ばかりでなく、自然環境からも自らを隔離していたツマ家族に少々驚愕。

それから3年ほどエアコンに関して内戦(第一次〜第三次エアコン紛争)が続いた。

個人の許容できる体感温度に差がありすぎた。

自分は暑さにも寒さにも比較的強いのだが、エアコン依存人間だったツマの許容気温が極端に狭い!つまり暑がりで寒がり。

暑くなると毎日エアコンでケンカし、寒くなれば暖かくなるまでケンカは続いた。

 

ということでひとまずここまで。