帰省
富士登山で一度実家に行ったが、お盆はお盆で行っておこうと思い、息子とツマを連れて実家に帰った。
実家で仏壇に線香を上げてお墓参りをするのが主目的なので、目的に合わない人間はすごくつらくなるのだが、なぜかツマはついてくる。
最初は体調が悪くなる予定なので行かないと言っていたのが、集会に行った次の日「やっぱり行く」と手のひら返し。お姉さま方にくだらぬ入れ知恵でもされたのだろうか。
2泊3日の帰省だったので、のんびりはできるが裏を返せば何もしないちょっと退屈な時間を過ごすことになる。
息子たちは年の離れた姪と遊べればいいので、帰省期間はほとんど子守を姪に任せっきりにした。中日は市営プールで半日を過ごし、息子たちにしては満足だったのだろう。
さて、お墓参りに行こうとするが、下の息子はツマと手をつないで一番後ろをついてくる。だがお寺の入口から先には入らない。
これ以上何を言うのもばからしいので、何も言わずに先に進んだ。
上の息子はついてきた。それほどものを考えないからだろうか。
この状況を喜ぶべきか否かはよく分からない。けれど楽しかったという思い出は捨てたくない。
どうも今回の帰省でツマがついてきたのは息子の監視が理由だったのだろう。ツマの思うように息子を合わせようとする様子が想像できる。
お盆の帰省にツマを連れて行きたくないのが自分の正直な気持ちだ。
実家では料理の手伝いや洗い物をやってくれてはいるが、お盆の主目的に参加しないので評価はダダ下がり。
母も自分と同じ気持ちだったらしい。
11月にお寺のイベントでお稚児行列があるので、母は息子2人を参加させたがっているが、ツマはいいと言わないだろう。話を切り出さないといけないが、「どうせダメだろう」というあきらめが先に立ってしまう。
くだらないことで神経をすり減らす休日なんていらない。紙様にすがりついた人は、現実から逃げるために一般チチを都合よく使うのだろうか。
「自分は紙様から生まれてきた!」
という思考力のない妄想を抱く前に、自分がたくさんの人達のつながりから生まれてきたことを自覚しないといけない。