おちつけ
おとといのカレー作りには喜んで出かけたんだ。
今日は歩け歩けの日で、幼稚園から多摩湖まで歩くイベントだったんだ。
体操服に着替えるまでは何にも問題なかったはずなんだ。
でも、ツマの部屋に入ってから着替えにずいぶん時間かけるなあ、と思っていたら、部屋にやってきた下の息子が「きょうようちえんにいきたくない」と言い出すんだ。
次の瞬間、自分はものすごい失望の表情をしたと思う。
心の中ではそこらにあるものをあたりかまわず投げ捨てて暴れたかった。
そんな妄想を5秒ほどして、
「じゃあ幼稚園に電話するから」と言ってリビングに向かった。
ツマは何も言わない。お弁当やリュックの準備をしていたくらいだから、歩け歩けに反対していたわけではないと思う。しかし幼稚園に通わせたくないという気持ちは今も持っているだろう。
幼稚園に欠席の電話を入れて10分も経たない内に、ツマは下の息子を連れて出かけて行った。一般家庭ならこの外出は買い物とかになるが、ツマは直前でも十分にできる夕食の下ごしらえをすでにしてあるので買い物ではない。家では履かないスカートを身につけている。
下の息子は当然のように連れて行かれた。あたかも今日のイベントを下の息子が行きたがらないと分かっていたかのように。
そして玄関を出る前に振り向いた息子の顔に表情がなかった。顔はあるのだが、動物の皮を球体に貼りつけたかのようだった。
下の息子の不安?を理解できない父ちゃんはまず原因がJWにあるに違いないと思った。そう思うと怒りが過剰にこみ上げてきた。そう思う中でツマが表面上にしろあからさまな反対をしていなかったという事実もあり、自転車を漕ぎながら「冷静になれー」と自分に唱え続けた。
落ち着いてから、その時の最善は何だったのだろうと思った。
ただ下の息子の言うことを受け入れるだけでよかったのだろうか。
息子の不安を取り除く役割もできたんじゃないかと後になって思った。でもやらなかった。本当は息子を抱きしめながら「大丈夫、◯◯ならできるよ。」と言って、下の息子の不安や恐れをなくすのが親の役目ではあるまいか。
子供を不安にさせる親、ってのはやはり機能不全なんだろうな。
もし宗教的なことから不安を感じるのであれば「◯◯は紙様を信じなくてもいいんだよ。」と言えばいいのだろうか。
何にしても下の息子が何のしがらみもなく明るい生活を送れるようにしなくては。
今回の原因が息子由来(ツマ経由はなし)だとしても、ただ不安は残る。
幼稚園で起こることは小学校でも起こる可能性がある。
JWの教義を忠実に守ることでどれほどの精神的抑圧を受けるのだろう。
今起こっていることはきっと今後も起こる。
たとえムダだと分かっていても、ツマに息子の解放を訴えないといけない。