カウントダウンは止まらない
去年の話に戻るが、実家に帰った12月30日の晩にいやな夢を見た。
自分は休日で家にいるのに、息子たちがワイシャツを着て集会に行こうとしているのだ。おいちょっと待て、と息子たちに言おうとして夢は終わった。
上の息子は今のところ大丈夫ではないかと思う。
小学校で校歌も歌っているらしいし、許される限り学校の友だちと遊びに出かけている。
自分で何でもできるようになれば、例えばちょっとした料理が作れて留守番ができるようになれば、自分の意志で「集会に行かない」という選択ができるようになる。
仮にツマが「集会に行かないならご飯は自分で作ってよ」と言われても効かない。
そんな自立ができればグッドなのだが。
下の息子のツマべったりはますますひどくなりつつある。
去年は書いてくれた年賀状も、ツマから何か言われたらしく「ぼくねんがじょうかかない」と言ってきた。
何よりも心配なのは、ちょっと気に入らないことがあると、すぐにいじけてツマに逃げていくところ。
この状態で小学校に入学したら、ツマの言うことに従って校歌を歌わなかったり、行事に参加しないかもしれない。小学校に行かないツマにとっては痛くもかゆくもないことだが、下の息子にとっては相当なストレスになるに違いない。
それらのダメダメが蓄積して、登校拒否になる可能性だってある。
今心配してもしょうがないのだが、下の息子につまらない小学校生活を送ってもらいたくないのだ。
話は変わるが、いしいさやさんのインタビュー記事をYahoo!で読んだ。
現在ムチはないようだが、精神的には虐待もしくは殺人に近い行為を子供に与えるJWは、事の軽重関係なく許せない。
偶像崇拝についてボーと考えていたら、オットを愛することも偶像崇拝なのかも、と思うようになった。言い換えれば、エホビアンになると、紙を第一に崇拝することでオットを軽んじるようになる、のではないかと。
そう考えると、非信者のオットに無断で集会に子供を連れて行ったり大会に連れ出したりするのもさもありなんと思う。オットのことなど実はどうでもいいと思っているのだ。
ツマに愛も情も感じないのは相変わらず。
ツマは楽天的に思っているのだろうが、断婚へのカウントダウンは着実に進んでいる。
ツマのいない世界で生きたい、と思う自分は楽園を夢見るエホビアンと同類なのかもしれない・・・