中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

Co-Hey

自転車にまたがって道にでた。

 

多少雲があるものの、弱々しい日差しが体に当たる。

空気は冷たい。でもそれは自分の周りすべてに等しく冷たい。

 

先日記事にした「公平」の文字が頭の中をぐるぐる回って頭蓋骨の裏側を削り取ろうとしている。そんなことを思いながらも日差しは弱く、風は冷たい。

 

それでいい。

 

何をしようが、どう思おうが、自分の周囲にあるものすべてが自分にとって「公平」なものなのかもしれない。

 

人格とは、あくまでもヒトに対してのもの。自然に人格はないし、ましてや紙様にヒトの基準で「人格」など定められないだろう。あえていえば「紙格」かもしれないが、自分に感じないものに何を思えばいいものか。

 

そんな思いをぐるぐる巡らせながら、脳内カラオケでは斉藤和義の「やさしくなりたい」がリピートし続ける。

 

愛なき時代に生まれたわけじゃない

強くなりたい やさしくなりたい

 

 

やさしくなれない。