中東書記(聖書と呼ばれる書き物)に興味のない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教にマインドコントロールされてしまった方々についてぼやいております。

ぼくのかみさま

ぼくがちいさなころから、おかあさんから「あなたのそばにかみさまがいるよ」といわれていた。

ぼくにはみえなかったけどおかあさんのいうことをしんじた。

 

かみさまは、ぼくのやりたいことをとめてばかりだった。ともだちとあそぶことや、ちょっとあぶないけどおもしろそうなことも、かみさまにとめられた。

 

かよっていたようちえんも「かみさまは◯◯がようちえんにいくのをかなしんでるよ」といわれていかなくなった。それまでいっしょにあそんでいたおともだちとは、さよならもできずにあえなくなった。

 

それからぼくはずっとおうちですごしていた。おうちのそとは「さたんがうようよしているきけんなところ」なんだって。

おかあさんがいっているのだからただしいことなのだとおもっていた。

でもぼくはたのしくなかった。だんだんかみさまのことがきらいになってきた。

 

あるときめのまえに、かたちはせつめいできないけど、めにみえるへんなものがあらわれた。

それはいつもぼくのそばにいてなにかつぶやいた。

「きみはほんとにそれでいいの」

「きみのほんとうのきもちはなあに」と。

 

おかあさんのいうかみさまは、おかあさんのことばのなかでしかでてこなかった。

 

へんなものはぼくのそばにいつもいて、ぼくがなにかしようとしているときにそばでささやいた。

「ほんとにそれでいいの?」って。

 

 

あるときぼくは、そのへんなものを「ぼくのかみさま」にした。

おかあさんのいうかみさまはみえもしないしかんじもしない。そしてぼくのやりたいことにじゃまばかりする。だからぼくをしんじてくれるかみさまをしんじることにした。

 

おかあさんはかおをまっかにした。

「おかあさんのしんじるかみさまがぜったいなのよ!」と。

 

ぼくはそうおもわなくなった。

おかあさんの「かみさま」はおかあさんのためのかみさまでしかないとわかったから。

 

ぼくのかみさまはぼくのためにいてくれる。

ぼくがぼくとしていられるためのかみさまだ。

もうおかあさんのかみさまにはしたがわない。