ぼくのかみさま
ぼくがちいさなころから、おかあさんから「あなたのそばにかみさまがいるよ」といわれていた。
ぼくにはみえなかったけどおかあさんのいうことをしんじた。
かみさまは、ぼくのやりたいことをとめてばかりだった。ともだちとあそぶことや、ちょっとあぶないけどおもしろそうなことも、かみさまにとめられた。
かよっていたようちえんも「かみさまは◯◯がようちえんにいくのをかなしんでるよ」といわれていかなくなった。それまでいっしょにあそんでいたおともだちとは、さよならもできずにあえなくなった。
それからぼくはずっとおうちですごしていた。おうちのそとは「さたんがうようよしているきけんなところ」なんだって。
おかあさんがいっているのだからただしいことなのだとおもっていた。
でもぼくはたのしくなかった。だんだんかみさまのことがきらいになってきた。
あるときめのまえに、かたちはせつめいできないけど、めにみえるへんなものがあらわれた。
それはいつもぼくのそばにいてなにかつぶやいた。
「きみはほんとにそれでいいの」
「きみのほんとうのきもちはなあに」と。
おかあさんのいうかみさまは、おかあさんのことばのなかでしかでてこなかった。
へんなものはぼくのそばにいつもいて、ぼくがなにかしようとしているときにそばでささやいた。
「ほんとにそれでいいの?」って。
あるときぼくは、そのへんなものを「ぼくのかみさま」にした。
おかあさんのいうかみさまはみえもしないしかんじもしない。そしてぼくのやりたいことにじゃまばかりする。だからぼくをしんじてくれるかみさまをしんじることにした。
おかあさんはかおをまっかにした。
「おかあさんのしんじるかみさまがぜったいなのよ!」と。
ぼくはそうおもわなくなった。
おかあさんの「かみさま」はおかあさんのためのかみさまでしかないとわかったから。
ぼくのかみさまはぼくのためにいてくれる。
ぼくがぼくとしていられるためのかみさまだ。
もうおかあさんのかみさまにはしたがわない。