生きてるものと死んだもの
息子たちは生き物が好きだ。
ソースの好きなのはカブトムシとクワガタ。
去年10匹ほど幼虫が育ったので、夏にけっこうな数の成虫が土から出てきた。
ただそれ以降のお世話はいい加減なもので、ほぼボヤージュに任せっきり。
今は生き物よりもPCのゲームの方に興味が移っている。
ボヤージュは親(ツマ)の影響を多分に受けたようでPCは忌避しているが、その分生き物に興味が向いている。
カブトムシ・クワガタはもちろん、他の昆虫も好き。
9月にベランダのグレープフルーツの木に産みつけられたアゲハの卵から7匹の幼虫が生まれた。ボヤージュは毎日毎日ベランダに出ては様子を眺めていた。
そんな幼虫も10月過ぎにはさなぎになる場所を探して一匹、二匹を姿を消していった。
中にはベランダに置いたサンダルの裏でさなぎになろうとしたヤツもいて、踏みつぶしてしまった。申し訳ない。
つぶした幼虫をプランターの土に埋めて手を合わせた。
そばにいたボヤージュにも「なむなむしてあげて」と言ったが動かない。
「祈ってあげればいいんだよ」と言うがそのまま。
夏ごろ、駅の近くにあるペットショップに息子たちと何度か通っていた。
息子たちの目的はクワガタ。海外由来のカブトムシやクワガタ(そしてその幼虫)がけっこう置いてあり、巨大な大アゴを持ったクワガタは息子たちの憧れの的のようなのだ。
たまたまそこで金魚すくいのイベントがあり、ボヤージュが3匹も金魚を掬った(!!!)。
一匹は「ピンポンパール」と呼ばれるお腹が膨れた種類で、泳ぎにくそうだがかわいらしい。
掬った金魚は返すこともできたが、ボヤージュの懇願するような瞳に負け、メダカの水槽で飼うことに。
以前酸欠で金魚を死なせたことがあるので、今度はポンプを設置した。
水槽には金魚・メダカ・ヌマエビの3種同居状態。
しかし2,3日すると「んん?エビの数が減ってないか?」と感じた。
ネットで調べると、金魚がエビを食べてしまうので、金魚とエビの同居は難しいと書いてあった。
しょうがないのでエビは小さな水槽に移し、大きな水槽は金魚とメダカだけにした。
一週間後、ピンポンパールが死んだ。原因は分からないが、ちょうど急に気温が下がった時期だったので、水温の変化についていけなかったのかもしれない。
前日の朝は生きていたが、ボヤージュが学校から帰ってきた時には死んでいたみたい。
しかしボヤージュはそれを放置して知らんぷり。
翌日の朝自分が話すと「ああそうなんだよ」と悲しむ素振りがない。
ご飯の後にプランターに亡骸を埋めたが、やはりボヤージュは無反応。
自分も飼っていた生き物をずいぶん殺してきたので、息子たちにどうこう言える立場ではない。しかしツマの趣味の影響でこうなってしまったのでは、という疑いをつい持ってしまう。
こんなことにこだわる理由は、「自分が死んだ時に、息子たちは自分をぞんざいに扱うのではないか」という恐れではないかと感じた。
死んだものに対して感情(哀しみや悼む気持ち)のブレーカーが落ちてしまうような状態なんだろうか。
個人的には墓はいらないし、個人的に思いを寄せた場所に灰を撒いてほしいと思う程度なのだが、死んだ後、息子たちの記憶から消去されてしまったら、自分は「死んだ」どころか「消去された」ことになってしまう・・・なんてことを考える。
おまけ:本日の夕ご飯はナンとキーマカレーと昨日の残りの豚汁。
今宵は少し飲みすぎました(笑)。