例えの前提
どこかのブログの記事に、ハンカチにインクのしみうんぬん・・・という内容が載っていたのを読んだ。
もうどこの記事だかは忘れた。
しかしぼーっとしている時にん???と思った。
ハンカチにインクのしみがついたら確かに目立つ。
でも、ハンカチとしての役割を邪魔する要素ではないなあ、と。
ハンカチにとって、しみや汚れがつくのは想定内だ。そんなハンカチを引き合いに出して目立つ目立たないだの気にする気にしないだの、というのはなんかズレてるんじゃないか、と感じた自分(記事を書いた方を批判しているわけではありません、おかしな例えを持ち出したどこぞの宗教団体を皮肉っておるんです、どうぞご容赦を)。
雑巾は、自ら汚れることで周りをきれいにする。
その雑巾が汚れているからといって「なんでこの雑巾汚れているの!」という人は普通いない。
どうせ例えを持ち出すなら、絵とかにすればいいのに。1点の絵の具でさえ、その絵の印象を変える可能性があるのだから。
そうそう、キャンバスにシミがついても気にすることはない。その上に絵の具が塗られていき、キャンバスの汚れを気にすることなく「絵」はでき上がる。
個人的にはJWの教師の例えはものすごく気に入らない。
彼らの言い分では、「先生が絶対に正しいのだから、最後には先生に従いなさい」という意図がミエミエなのだ。
そうではない。
先生は、生徒に「それが正しいか正しくないかの判断を冷静に下せる」ように教育するものなのだ。判断が間違ってしまったにしろ、自分の考えを持ってもらうことなのだ。
来年度に向けて、もうちょっと納得のいくたとえ話を作っておいてくださいな、どこぞの執筆委員たち。