中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

バベルの塔と多様性

朝日新聞2月3日朝刊「日曜に想う」より。

 

今、「ボイストラ」という音声翻訳の無料アプリがいろいろな場所で使われているんだそうな。

外国人労働者の増える日本でも、医療現場で重宝されていると。

医療の知識だけではなく外国語、それも英語だけではなくアジア圏の言語も理解できる救急隊員なんて、めったにいないだろう。それをカバーできる無料アプリとは大したものだ。

 

さて、元々ひとつの言葉でしゃべっていたらしい現代人の祖先は、バベルの塔を建設しようとして紙の怒りに触れ、様々な言葉をしゃべる集団に分断されてしまった、らしい。

しかし多言語に分化していることが悪いことではないらしい。

ある言語で考えられることが、他の言語で考えられないことがあるそうだ。ということは、言語が統一されてしまうとその言語では考えられないことが増えてしまうことになる。

外国語では1つの言葉でしか表現できない意味を、日本語では数種類の言葉で表現できたりする。日本語は表現という意味では思考の範囲を広げられる言語なのかもしれない。

 

こんな記事を読んで、人間は紙の押しつけがましい統一性を自ら拒否したのではないかと思うようになった。

 

同じになるということは多様性が失われるということだ。

お互いを理解しづらいけれども、言語が違うのは多様性を認める上で非常に大切だ。

 

時に同じであるのはいいことではあるけど、時に違うこともいいことなのだ。

 

エホバの証人の望む楽園は、同じ考え・同じ言語を持つ人間だけの集団になるらしいが、そうなったら新しい考えや進歩などはなくなってしまうんじゃなかろうか・・・