ことばの理解
知り合いがFacebookにこんな投稿(シェア)をしていた。
「警察署に通う方からの情報です。
知らない人が路上で接近して来て、乾燥海産物をすすめて来て販売しようとしながら『一回味見をして』とか『臭いを嗅いで』とか言われても、絶対絶対しないでください。
海産物ではなく(エチルエーテル)1種類の麻酔薬で、臭いを嗅いだら意識を失う。
中国から来た新しい犯罪。
周囲へ広く知らせてください。
実際、事件発生、臓器売買してるそうです(後略)。」
さて、上の文章を読んであなたはすぐにこれを周囲に知らせますか?
自分はまず警視庁のHPで検索した。
しかしそのような情報はなかった。
文章を読み返してみる。
「ん・・・警察署に通う方?」ってこれ警察官かどうか分からない!警察署に通っている清掃業者も、近所の食堂の出前の方も「警察署に通う方」になる!
で、今度は「エチルエーテル 詐欺」で調べてみると、元々2010年くらいに韓国ではやったデマらしい。今もチェーンメール的に生き残って時々誰かが上げるみたい。
ちなみにエチルエーテル(ジエチルエーテル)は麻酔薬として使われるらしいが、TVドラマのような即効性はないみたい(ちなみにドラマでよく使われるクロロホルムも即効性がないらしく、あくまでもドラマティックな演出のようだ)。
いろいろあわてちゃあいけないよね。
終わりが来る来ると焦らされて、思考を奪われることのないように気をつけねば。
今は情報を収集することが非常に簡単になった。
簡単になった分、信頼のおけない情報が商品の包装ビニールのようにそこらに散らばって、信頼のおける情報を選別する能力が必要になった。
自分はその能力に長けている、というわけではないので、明らかに間違っている情報の選別くらいはできるようにしておきたい。
そのために必要なのは国語力。物事の意味をあいまいにする文章や、勘違いを誘発するような文章に反応する能力がないと、間違った思考に誘導されるおそれがある。
「〜という人もいます」を少数意見だと判断したり、
「〜かもしれません」を断定的なことだと思ったりするのにはご注意を。
長い文章の中から取り出した一文だけを読んだ時に受ける印象と、文全体を読んだ時の印象がまったく変わる場合がある。取り出した一文の後が「しかし」から始まっていたら、前の一文は文章の中でいいたいこととはまったく反対のことを述べている可能性だってある。
中東書紀で、ある一文を取り出して物事の例えや教訓を説明することがよくあるが、文章全体でいいたいことをその文が示していない場合だってあるので気をつけなければいけない。
まあそんなことを書いても、自分の都合のよい情報を信じたくなるのが人情ってもんで、それによってコロリとやられてしまうもんなのだ。くわばらくわばら。