中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

自分の住んでいるあたりもずいぶんと桜の花が開いてきた。

通勤で通る自転車道の桜も六〜八分咲きくらいだろうか。

来週いっぱいくらいが見頃かな。

 

以前も何かの記事で書いたような気がするが、花は誰に向かっても咲く。

嫌な奴を見てつぼみに戻ってしまう花もなければ愛でる人の前で一瞬にして花開くものもない。

 

これこそ無条件の愛じゃなかろうか。

 

信じない人間を滅ぼしたり信じる人間を救う紙に愛はあるだろうか。少なくとも「愛そのもの」なんてことは言えない。条件つきの愛だ。

「花には感情がないからそうなるだけだ」というならば、下手な感情を持つから条件つきの愛と同時に怒りや憎しみを抱えるのじゃないか。

言い換えれば、感情を持つものは無条件の愛を与えることはできないのじゃあないか。

 

 

えこひいきばかりする(人間の想像の産物に過ぎない)紙なんかより花を師とあおいだ方がよさそうだ。

 

そうか、だから花を「美しい」と感じることができるのか。

 

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