考察
ここ何回か書いていることだが、ボヤージュの機嫌がいい。
まず、朝「おはよう」と言うと「おはよう」と返してくれることが多くなった。
そして学校から帰ってくるのが少し遅くなった。
学校を出る時にメールで通知が来るのだが、1年生の時よりも5分ほど帰宅が遅くなっている。きっと一緒に帰るお友達とおしゃべりや寄り道をしながらが増えているんだろう、と想像している。
帰宅した時も元気に「ただいま!」と言ってくる。
自分が家にいる時はお友達の家に遊びに行ったりもしている(自分が仕事の日はどうしているか不明)。
昨日はお友達のお家で遊ぶのがよほど楽しかったのか、5時半を過ぎても「まだ遊ぶ!」と言ってきた。夕ご飯の準備に支障のない程度まで許した。
夜は寝る前までリビングにいることが増えた。
これまではツマが自室に引っ込むのに合わせてボヤージュもついていったが、ソースと一緒にTVを見たり、自分と一緒に遊んだり、まったりモード。
一番の要因は、学校生活を楽しんでいるからでは、と考えている。
幼稚園の登園拒否が起こっていた頃、原因はともかく「行きたくない」というボヤージュに登園を強要したのは自分だった。今もそうだが「ツマと一緒にいる時間をなるべく減らして宗教の刷り込みを極力少なくしたい」という焦りもあり、結果として自分がボヤージュの「敵」になってしまったんだろう。ボヤージュの精神的なダメージは自分の想像以上で、ツマとの諍いが絶えなかったことも自分への恐れを余計に助長したのだと思う。
小学校に入学してからも、その恐れを長いこと引きずっていたのかもしれない。
義務教育ということで、ツマも「行かなくていい」などと言わない。幼稚園と違ってツマが小学校をあからさまに嫌悪しなくなったことで、ボヤージュにその嫌悪感が伝染していないのもよかったのだろう。
幸か不幸か対外的におとなしめ(悪く書けば消極的)に育ったボヤージュは、クラスではけっこう人気者らしい。特に女の子にはモテているようで、遊びに行くのはいつも同じ女の子の家。
JWって小さい頃から男女の交友に厳しくなかったっけ・・・?という疑問は置いといて、モテなかった自分はボヤージュをうらやましく思う(笑)。
自分も「息子たちの味方でいる」ことを意識することで、どうでもいいことに怒らなくなった。特にごく個人的なルールを子供に適用するのを極力やめて、何か起こっても「怒る」じゃなくて「その先をどう対応するか」を考えたり訴えたりするようになった。
怒ることで息子たちの罪悪感に訴えて支配しようとするツマとは反対の対応をすることで、息子たちを自分側に引き込もうとする戦略でもある。
怒らなくなったことで自分に対する恐れの薄れたボヤージュが、少しずつこちらに歩み寄ってくれているのかもしれない。
ただこの歩み寄りも、一度の理不尽な怒りをあらわにすれば一瞬にしてゼロになってしまう可能性があるので、気をつけなければ。
世の中には希望が散らばっている。希望が見えないのは誰かがその目をふさいでいるからだ。その誰かは自分の一番身近な人ということはよくある話で。
「息子のために」というおせっかいな手をつかんで「自分の絶望を子供にコピペするな」と自分は行動する。