中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

『預言者』

たまたま読んでいたビジネス本の最後に一遍の詩が載っていた。

 

経営者が経営ビジョンに対して抱くべき「所有欲なき責任感」をよく表しているものらしい。

 

 

あなたの子は、あなたの子ではありません。

自らを保つこと、それが命の願望。そこから生まれた息子や娘、それがあなたの子なのです。

あなたを通ってやって来ますが、あなたからではなく、あなたと一緒にいますが、それていてあなたのものではないのです。

子に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。

子には子の考えがあるからです。

あなたの上に子の体を住まわせるがよい。でもその魂は別です。子の魂は明日の家に住んでいて、あなたは夢の中にでも、そこには立ち入れないのです。

子のようになろうと務めるがよい。でも、子をあなたのようにしようとしてはいけません。

なぜなら、命はあとへは戻らず、昨日と一緒に留まってもいません。

あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれていきます。射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。かれの矢が早く遠くに飛んでいくために。

あの射手に引きしぼられるとは、なんと有難いことではありませんか。

なぜなら、射手が、飛んでいく矢を愛しているのなら、留まっている弓をも愛しているのですから。

 

預言者』(カリール・ジブラン) より

 

ja.wikipedia.org

 

彼はレバノン出身だが、宗教はキリスト教系だったようだ。

100年以上前も過干渉な親はいたのだなあ、と感じた。

この詩の内容に共感する。