管理会社変更
住んでいるマンションの管理会社を変更することになった。
入居してから5年が経った。
入居当時はこんなもんかと思っていたが、年1回の管理組合の総会で挙がる議題には常に管理会社の対応の遅さや悪さがあった。
今期の理事会は、これまでの鬱憤を晴らすかのように管理会社変更をぐいぐいと推し進め、日曜日の総会で管理会社変更にこぎつけた。
自分も管理会社選定委員に名乗り出て多少関わった。その中で、これまでの管理会社が管理人に問題を丸投げしてマンションの運営に及び腰だったことが分かった。
管理人さんは、ずさんな管理会社のフォローを一生懸命してくれていたんだと思う。しかしそれが一部の住民には別の一部の住民にひいきをしていているように思われたらしく、管理会社変更のゴタゴタの中、一身上の都合により退職した。
住民側も、管理会社に代わって管理人がフォローしていたことを分かってあげていればこのような事態にならなかったのかもしれない。
元管理人さんの人気は厚く、管理会社が変更になっても管理人は変更しないでほしいとの要望が多数寄せられた。もちろんその反対もあったが。
総会での議決を得て、10月から新管理会社での運営となる。
大手不動産会社の傘下ではないため、変なしがらみのない運営ができそう、だ。
以前管理会社変更をネタに記事を書いたことがあった。
管理会社選定委員に関わっていろいろとやりとりしているうちに、どこぞの宗教団体も似たようなことをしてるなあ、と思って記事を書いたのだ。
いつか来るらしい楽園を待ち望む人たちは、「これまで待ち続けたのだから、今あきらめて、その後楽園が来たら後悔するだろう」と思い続けて信仰を捨てられずにいるのだろう。
本当は、「今からでも遅くないからこれから自分の周りに幸せな場所を作ろう」と行動した方が幸せな時間を多く作れるかもしれないのに。
生活でも、政治でも、自分や自分たちが快適に過ごせるように周囲やお上に訴える権利がある。
「お上には下賤な輩には理解できぬ事情があるんじゃ」などと分かったような口をきくじじいになる必要はない。
おかしいことはおかしいと言い、改善できることは改善できることとして提案する。
それが一般社会の健全な物事の進め方だ。
完全無欠な紙ならば、紙の行ったことを人間に理解できるよう説明できる能力くらいあるだろう。理解できないのは人間が悪いのではない、説明できない紙が無能なのだ。
理解できない言動ばかりの紙にあいそをつかして信仰を捨てるのも、権利として認められる。理解できるよう説明できない紙が悪いのだ(統治体が悪いとは決して言わない)。
やっぱりどうしても自分に合わないものは、切り離していいと思う。
長年一緒だった夫婦も「残りの人生もわずかだが、お前と一緒では今後の人生を楽しめない」と相手を切り捨てるのも、場合によってはありではないか。
え、自分を正当化している? ・・・・・正におっしゃる通りで。
休み中にチャレンジした料理の出来がよくて大満足!
アイスクリームは息子たちが喜んでむさぼり食っていた。
豚の角煮は大量に作ったので、普段のおかずが貧弱な時の足しにする。
現在自分の一番の信仰の対象はcookpadかもしれない(笑)。