中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

偉大な教え手は誰なのか

ソースは先週、八ヶ岳に行ってきた。夜尿症が完全に治っていないため、本人にも自分にも多少の不安があったが、期間中はおねしょをしなかったとのこと。よかった。

本人から話をしてくることはないが、それなりに楽しかったんだろう。

戻ってきても何が変わったわけでもないが、この経験がひょんなところで役に立つことがいつかある、と思っている。

 

さて、ソースが不在になった3日間、ボヤージュはちくのう症(最近は副鼻腔炎と言う)で学校を休んだ。せきが少し出て、鼻を頻繁にかまなければならない状態。

ボヤージュの状態を見ると、学校に行けないような状態ではないように見えるのだが、幼稚園時代の登園拒否のような悪手を打たぬよう、何も言わないことにした。

休み中、ボヤージュは部屋で飼っている金魚やメダカの世話をしたり、ベランダの植物の水やりをしていた。アゲハが卵を産みつけたので、アリに持っていかれないようその葉を虫かごに移したり。

家では学校の図書館で借りた金魚の本を読んでいたらしく、自分が帰宅すると金魚の話をいろいろしてくれた。

そうそう、時々行くペットショップでこの前金魚すくいがあり、ソース+ボヤージュで合計4匹の金魚をもらってきた。実際にはもっとたくさんすくったらしいが1人2匹までという制限だったので。

事前にペットショップへ行き、準備中の水槽を見ながら「ぼくこれがいい」と指していたのはクロデメキン。お目当ての金魚を手に入れることができてご満悦。

今使っている水槽に3匹+4匹は少々せまい感じだが、比較的仲良く生活できているようだ。エサをあげた後、ボス格のデカ金魚が小さいリュウキンを追いかける、というイベントが毎回起こる。

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金魚の水槽

ここまでは近況報告。

 

 

コンピューター技術が発達してきて、人間の思考の一部をコンピューター(AI)が補助するような状態がそれほどめずらしくなくなってきている。

将棋の藤井聡太さんはコンピューターの将棋ソフトで将棋の研究をしているという。

AIの将棋ソフトは人間の思いつかないような打ち方をすると、どこかで読んだ。これまでの常識(固定観念)をAIは完全に無視する。

新しい職業となりつつあるユーチューバーは、普通の人がやろうとしないことや考えもしないことをやってしまう。ユーチューバーによっては、時にそれが周りに多大な迷惑をかけることになっても、視聴者を増やす目的のために手段をいとわない。

 

今まで良い意味でも悪い意味でも歯止めがかかっていたものが、AIによって簡単に破られてしまう。それを感じた者が「これってダメって言われてるけどやってもいいんじゃないの?」と固定観念を破壊する。場合によっては倫理を無視した行為に走る。

 

何が書きたいのかというと、どこぞの団体がよく言う「偉大な教え手」ってそろそろ偉大じゃなくなってきてるんじゃない?ということ。

エスという人物が実在したかどうかは置いといて、紙に書かれているイエスという人物は、素材となった者に、書物を書く人の希望や妄想・素材を偉大に見せるための過剰な演出を盛った末の産物だと思っている。

彼をけなすわけではない。過去から受け継がれてきた経験や教訓を後世の人に伝える役としてはよかったんだと思う。

しかし時代の流れがどんどん速くなっていくように感じる今、「偉大な教え手」という古い看板をいつまで出し続けられるのだろう。

 

いずれAIが生み出した教理を基に宗教団体ができる可能性だってある。

それこそ人の思惑などおかまいなしなものすごい教理になるだろう。

例を書こうとしたがこれはまずいと思ってやめた。

 

とはいえAIも人の作ったもの。ある会社の新入社員の採用をAIで行ったところ、男性を多く採用する傾向があったらしい。作った側の思考をAIが見事に反映するといういい例だ。

紙は人間を自分に似せて創ったという。

紙を信じぬ人間から言わせてもらうと、紙は人間の産み出した妄想で、人間の思惑に沿って自在に变化するものにすぎない。

紙だけが偉大な存在などでは決してない。