新型コロナウイルスと働かされ方改革
新型コロナウイルスの影響で現場が3週間なくなった。
現場主体の業務なので、事務処理的な業務はそれほどない。
とはいえ、時間が取れなくてできなかった備品整理や清掃などを、じっくり時間をかけてやることになった。
それでも相当時間が余りそうなので、自分は何日か有給休暇を取ることにした。
同い年の同僚もそれなりに休みはあるのだが、なぜか有給休暇を取ろうとしない。
何か仕事があるわけでもないのに、現場に行って業務終了時間過ぎまで事務所に戻ってこない。
普段から現場のない日が続いていても休まず、かといって忙しそうでもなく、事務所にいると大きなため息を頻繁にしている(本人には多分自覚がない)。ふらりと他のデスクに行っては長いおしゃべりをしたり、自分には明らかに時間をつぶしているようにしか見えない。
自分が気にしすぎているのかもしれないが、おそらく周りは彼がヒマだと分かっていると思う。
現場勤務とそうでない時の忙しさの落差が激しいというのもあるが、仕事がなければ休めばいいのに、と思う。
別の同僚は「最近、仕事が楽しくなくてさ・・・」とぼやく。
働き方改革を進めているうちの会社は変形労働制を始めた。
現場が長引きそうな日は勤務時間の長いシフトにし、現場が短時間で終わりそうな日は勤務時間の短いシフトにする、という具合。早く帰れる日があってありがたい時もあるが、長時間勤務シフトの日に予想よりも早く仕事が終わった場合、事前に時間有休の申請をしていないと指定時間までいなくてはいけない。
これまで、時間の許す限り働き、自分(たち)の納得のいく仕事をしていた面々にとってはその変化についていけない者も少なくなく、切りの悪い状態で仕事を終えて次の日に持ち越す、ということに不満を持つ者もいた。
じゃあ「楽しかった頃の仕事」って何だったんだろうと考える。
仕事が楽しければそれに越したことはないが、いざ仕事が楽しくなくなったとしたら、それは仕事に人生を預けてしまっていることにならないか。
仕事が楽しくなかったら人生が楽しくない、なんて生き方してるから休みを取りたがらないのだろうか、とも思った。
今の業務から早いこと足を洗おうと思っている自分にとっては、ひとつの業務にしがみつくことの危うさを感じている。
若い頃に持っていた判断力や反射神経、視力、聴力が間違いなく落ちている状態で、10年前と同じスキルは維持できない。しかし現場は10年前と同じ対応を要求してくる。
本来若い連中にバトンタッチすべき業務を、それしかできない人間がしがみついて更新がスムースにいかずにいる。
立ち上げの頃に苦労して身につけた知識や経験は、今若い連中に説明して指導すれば比較的早く身につくものばかりだ。昔は「技は教えてもらうもんではなく、盗むもんだ」と言われていたが、人材確保の難しい現在、若手のモチベーションを保つためには、ベテラン連中がもったいぶっていたらいけない。新人を使い捨てにするような時代は去った。どんな人材でも手厚く育てていかなくてはならない時代になったんだと思う。
異動がほとんどないせいで、うちの部署は自分も含めて昇格しないまま年だけ取った人間が増えた。委託会社の年下の連中にでかい顔をしているが、その年下は係長・課長クラスだったりする。自分たちよりも責任が重い立場だ。
それに比べて役職についていない同僚たちは言いたいことは言うが責任は取らない、いわゆる無責任状態。係長や課長になったら言えないようなことをいい散らかして放置する。
会社の立ち上げ時に「会社で一番若い係長」と呼ばれていた係長もまもなく60歳。もう後進に係長を譲ってもいい頃なのだが、その気配はまったくない。
ああ、ただの愚痴です。