中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

小学7年生

ふと、そんな言葉が頭に浮かび、なんだか気に入ったのでタイトルにした。

 

ソースが学生服に袖を通したのは合計3時間にも満たないだろう。

春休みが1ヶ月前倒しになり、期間が3倍に延長された。

中学校から課題は出ているが、個人のやる気にまかせると、やる子はやるが、やらない(やりたくない)子はひたすら先送りにする。ソースなどは教科書をまったく読まずにドリルを始めて「父ちゃん、これわからない」と聞いてくる。

はぁ。そりゃ教科書を読まなかったら習っていないことが解るわけないだろう。そういうことすら理解していないのだ。

 

先生には申し訳ないが、やっぱり授業という形で強制的に教え込む形にしないと、うちの上の息子はやらない。仮にやったとしても覚えようという気がない、というか知らなくても平気なのだ。今のところ勉強ができなくても生活できるからそうなのだろうけど、中学までの勉強は社会で生きていくための基本的な知識だ。この土台をしっかり組んでおかないと、その先のレベルの学習を積み上げられない。

まあ本人が「このままじゃまずい」と感じるまで自分は放置しとくことにする。手遅れになるかもしれないが、強制したって身につきはしない。自分の親がほぼ放任だったため、他人に勉強を強要するのに抵抗感もある。

さて、ソースがいつ「必要なこと」に気づくのか。

 

ボヤージュはツマに管理されてきっちり課題をこなしているようだ。父ちゃんの手はまったく借りていない。それをよいとするか悪いとするか、評価しにくいところだ。とにかく多くの時間をドアを締め切っているツマの部屋で過ごしているので、課題以外に何をしているか、声が聞こえない状態では分からない。下手すればタブレット上で証人連中とオンライン交わりをしているかもしれない。

 

さすがにツマもここ2ヶ月近く、野外奉仕を行っていない模様。しかし信仰は薄れることがないようで、時々自分のいないところで「エホバがうんぬん」と息子たちに言っている。

この状況でエホバが出てきて新型コロナウイルスを撲滅させたら、世界中の多くの人間が入信するだろうに、何やってんだろ紙サマ。イエスもさあ、今降臨したらスーパーヒーローになれるのに、このチャンス逃すの?

 

3月末くらいまで、「感染したらしょうがない」くらいに思っていた。しかしそれから1ヶ月ほど暮らしてきて、やっと事態を少し理解した。

 

新型コロナウイルスは、インフルエンザと違ってまだ効果的な治療法の確立や、ワクチンができていない。入院しても確実に治るわけじゃない。多数の有名人がこのウイルス感染で亡くなっていることからしても、現在は金を積んでも治せない、ということだ。

感染が分かっても入院できないケースが増えている。誰か一人の感染が判明したら家族全員が隔離されることになる。

 

結局、ワクチン接種が広範囲に実施されるようにならなくては、三密禁止をうかつに解除できないのだ。ワクチン開発には1年以上かかるという。それじゃあ来年7月に延期した東京オリンピック2020なんて到底開催できるもんじゃない、と自分は思う。

無理くり開催しても客が来るのか、という気がするし、観客を密接状態にできないということは観客数を制限する必要も出てくる。甘くみて開催すると、Tokyo発の第X波となって何度目かの世界的流行を引き起こすかもしれない。決定するなら早い方がいい。ワクチン開発成功までぎりぎり待つことの方がよほどリスクが高い賭けになるのだから。

これまで積み上げたものを無駄にするのか、という考えもあるだろうが、数年後をより悲劇的な未来にしないために、まさに「英断」を下さなければならないのではないか?