中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

積み上げた ことばと時間の上に立ち

毎年恒例のようになっていますが、皆様明けましておめでとうございました。

 

年末に「モモ」を借りて読んだ。

以前児童劇団で観た「モモ」であらすじは分かっているつもりでいたが、とんでもない間違いだった。

さて、少し前に「タイパ」という言葉を朝日新聞の連載で知った。

 

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時間に対するコストパフォーマンスのような意味合いで、時間の使い方の効率を指すものらしい。記事を読んでいくと、登場人物が「モモ」の世界に登場する大人たちとほぼ同じ・・・記事では時間を効率よく使うことを良しとしている雰囲気もあるのだが、何だか気づかぬうちに多くの人が時間どろぼうに時間を奪われてしまっているのでは、と感じた。

 

少し前に「限りある時間の使い方」を読み、決まった時間の中でそれを上回る行動を押し込むことは無理だ、ということを自覚してから、時間内にできないことを潔くあきらめ、必要なことや今求めていることを優先する心持ちになっている。

もちろん他の人にとってはどうでもいいことを優先的にやっている場合もあるのだが。

 

本を読んだおかげで、時間を無駄にしたという罪悪感を抱くことが少なくなった。無駄なことや余計なことをたくさんしてはいるのだが、使った時間に対する後悔をしないことで気が楽になっている。向上心がないともいえるのだが、不安にかられて空いている時間に何でもつめこもうとするよりは、時間が空いているからぼーっとしている方が精神的には健康な気がする。少なくとも自分にとっては。

時間に余裕を持つことや時間を無駄にしたと思う罪悪感によって、それをうまく利用しようとする輩に操られないように気をつけたいものだ。

 

時間と同様、ことばも大切。

語彙を覚え、文法を理解しないと相手に伝えたいことが正確に伝わらない。ニュアンス程度で済むものならLINEスタンプでいいんだろうが、本当に伝えたいことを相手の推測に任せてしまうのは無責任でもあり危険でもある。

キリスト教系でよく見られる、文章のある一部分を切り取って「◯◯はこう言った」として、その一部分だけで得られる説明をするのも自分からしたら問題ありだと思っている。

本来文章全体を読まないと、その一部分が全体にとってどのくらい重要なのか分からない。場合によってはその一部分を否定することすらある。

だから悪意のある者はそれを利用して自分に都合のよい「真実」を捏造する。

「・・・彼はそう言いました」
「・・・だから◯◯は△△です」なんて表現は非常に疑わしいので、その部分が収録されている文章全体に目を通した方がいい。

 

自分は息子たちにできるだけこちらの意味が伝わるように話しかけるようにしている。

対してツマは非常に言葉をはしょる。動詞だけの命令形ことばもよく使う。

特に不快なのは、息子たちに対して突然「ねー」という言葉を発するところ。

通常ならばその前に同意を求める内容の言葉があるはずなのだが、まったく何もないところから「ねー」を発するのだ。

一般人の配偶者の発言ならばまあいいか、とも思うのだが、カルト宗教によって毒性の増した母親の言葉は「無条件で私に同意して」という想いがプンプン臭ってくる。

言葉は時に暴力よりも攻撃力の高い武器や、遅効性でも確実に効く毒にもなりうる。

文章やことばが本来何を伝えようとしているか、それを的確につかまないと相手にだまされることにもなりかねない。

個人的にはそれほど多くはないかもしれない言葉や文章に触れ、影響されながら今の自分がある。これからもことばを大切にしていきたい(文章は下手だけど)。

年始に興味深い記事があったので載せておく。

 

 

 

家庭の状況は相変わらず。

4人の行動はほぼばらばら。朝食も4人同時というのはほぼない。

でもそれでいいかとも思っている。朝食が楽しみだという気持ちになれないのではそりゃあ早起きもしないだろうし。

 

息子たちをツマの影響から逃れさせるのは現状では非常に難しい。

仕事に出かける自分と専業主婦にかこつけて必要最大限息子たちに干渉する時間を取れるツマとでは、最初の条件で完全に不利だ。自分のいる時間内で何ができるか。

ツマと同じように過干渉になったところでうっとうしい相手が増えるだけ。

ツマの言動に不快感を抱いている自分としては、とにかく余計なことはしないで息子たちの行動を見守ることが一番ではないかと感じている。

成長するに従って下の息子(ボヤージュ)もツマのうっとうしさや、ツマのそばでの居心地悪さに気づくだろう。そうなればしめたもの。ツマの行動に付き合うことが自然と減っていけばいい。

多分自分がツマから息子を強制的に引き離すのは逆効果。
断婚についても検討したが、現状で親権が確実に取れるかは非常にあやしい上に、そのことでツマが下の息子を囲い込み、宗教的な強制を強めてしまう可能性もある。

何も変わらないように装いながら下の息子があいつから離れていくのを見守る。今の自分が出した最適解。

とりあえず自分の休日では息子たちのリクエストで夕ご飯のメニューを決める。ボヤージュが白飯を嫌うため、もっぱら粉もんメニュー(パン・お好み焼き・たこ焼きとか)だが。

それでも息子たちが完食してくれるのを見るのはうれしい。

息子2人と自分の共通の話題はゲーム。上の息子(ソース)は最近ワンピースの格闘?ゲームにはまっている。ボヤージュはRobloxとかいうマインクラフトの派生版ゲームがお気に入り。

勉強しろったってやるもんじゃないので自分は放置している。あ、ソースは受験生だった(笑)。

下の息子