中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

読書と経験の関係

悪い意味でスマホ慣れしてきている。

何かのながらにほぼ必ずスマホがついてくる。
TVを見ながらのスマホ、新聞を読みながらのスマホ、ゲームをしながらのスマホ、などなど。

結局どちらにも集中できない状態になってしまう。

ご飯を食べる時だけは決してスマホをいじらないようにしている。
ご飯を見ないで食べるようになったら、ご飯の見てくれなど関係なくなってしまう。味さえまともなら、カレー味のう◯こを食べても気にしなくていい、という乱暴な理屈だって通ってしまう気がするのだ。何よりご飯を作ってくれた方に失礼な気がする。

まあ今自宅で食べるのは自分で作ったご飯だけなのだが。

 

そんなこともあり、本を読む頻度も減りつつある。
新聞のレビューで気になった本を図書館に予約するが、人気作になると2年くらい後、忘れた頃に通知が来たりする。

 

読書は好きだ。自分の見ていなかった世界を見せてくれる。知っていると思った物事に新たな視点を与えてくれる。最近読んだ「クロエとオオエ」では、宝石・アクセサリーの知識をちょっとだけ知ることができた。

bookmeter.com

皆様はどうか分からないが、読書にはある程度の想像力が必要だと思っている。
例えばあるTVドラマが好きになって原作本を読むと、登場人物のビジュアルが自然とTVドラマの登場人物と重なるような。

映像作品になっていないものの場合、本を読んでいく中で「この人はあの俳優っぽいかなあ」と段々自分好みのキャスティングをして脳内動画を作成したりする。もちろんぼんやりしたイメージに過ぎないのだが。

学術系の本にしても、「火」や「水」など、イメージできるものは頭に浮かんで文章の理解をサポートしてくれるが、聞いたことのない専門用語が出てくると、頭にはモヤモヤした雲にはてなマークが浮かぶだけで文章も理解できなかったりする。

「犬」を知らなければ「犬」をイメージできない。
「猫」を知らなければ「猫」をイメージできない。
知らない言葉を本の中の説明だけを頼りにイメージしていくのはなかなか難しく、イメージできないことによって理解もできず、結果その本が面白くなくなってしまうこともままある。

 

だから、ある程度の知識や経験がないと読書は面白くならないのかも、なんて思ったのだ。

 

クソ宗教に堕ちたヤツによって、息子たちは積極的に一般の本から遠ざけられた。自分はできる限り興味の出そうな本を借りて置いておくが、読まれたことは多分ない。

そもそも散歩に行くだとか友達と遊びに行くとかの経験が致命的に少ない。そういう経験すらさせてもらえないほど抑圧されてきたのだ。本を読んでも楽しくないというすばらしい人格が形成された。今や上の息子はほぼスマホ依存、下の息子は経験不足の引っ込み思案。

ヤツから精神的に離れなければ、ダメ人間一直線。

 

たった一冊の本で人生観が変わることだってあるのだ。
ちいさなきっかけからでいい、本を読んでほしい。

自分とクソ親だけの狭い価値観をぶち壊してほしい。