いつもとおなじをありがたいと思う時
夏祭りのシーズンだ。
先日地元で行われたお祭りに一人で行ってみた。
上の息子(ソース)は友達と行き、下の息子(ボヤージュ)は言葉に出さないが「行かない」という意思表示。
相変わらず新型コロナ感染を過剰に恐れているようだ。
地元の駅前にはたくさんの人が詰めかけていた。
新型コロナ感染拡大前から地元には大規模なマンションが何棟も建ち、ここ数年で人口が相当増えているはずだ。
屋台の数は限られているので、食べ物の屋台にはどこにも長蛇の列ができていた。
食べ物を買うのはあきらめて、ビール片手にお祭りの雰囲気に浸りながら人混みの中を漂った。
自分の行った時間帯からサンバカーニバルが始まった。
打楽器のリズム、腹に響き、体全体に伝わる振動が心地よい。
ただぼーっと眺めているだけなのに楽しい。
久しぶりの、マスクなしの大騒ぎ。
4年前はこれが当たり前だった。
今、当たり前ではなくなったが、当たり前の状態にしてもよくなった(もちろんそれなりの感染対策は必要だと思うが)。
有り難いことなのだ。
ビール2杯・レモンサワー2杯飲んだが対して酔わなかった。
ボヤージュとあいつにバナナチョコをおみやげに買って帰宅。
・・・・・・・・・・・
昨日、ボヤージュが友達と遊びに出かけた。
学校から帰った後、また水筒に飲み物を入れているのを見て「あいつとどこかへ行くのか?」と訝しく思ったが、うれしい勘違いだった。
あいつの無言の圧力と巧みな誘導で友達と遊ばなくなったボヤージュ。新型コロナも影響して、小学3年生から今まで学校外で友達と遊ぶということをしていなかった。
それが、友達と遊ぶようになるなんて。
下手な問いかけはボヤージュを警戒させるので、あえて何も言わなかった。
夕ご飯時にあいつとの会話を聞いた限りでは楽しかったみたい。ただ、あいつが「周りに変な人はいなかった?」とか、ボヤージュに不安を抱かせるような言動が気になった。
ボヤージュが「近くに見守りの人がいたからぜんぜん平気だった」と答えたのでいろいろな意味でよかった。
夏休みも一緒に遊んでもらえるといいな。
そんな感じで個人的にはいい方向に向かっているのではないかと思うチチ。
毎回毎回書くけれど、親を喜ばせるために自分が苦しむ必要なんて1ミクロンもない。
子供が楽しく生きていることが、自分にとっての幸せなのだ。