中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

動いて、考えて、また動く

上の息子の小学校の教科書にあった文章。

元陸上選手の高野進氏の文で、いわゆる「試行錯誤」を小学生向けにやさしく書いたものだ。

息子の音読を聞きながら、大切なことだなあ、と思った。

 

 

さて、うちの息子たちは生き物が好きで、このところトカゲをつかまえて飼育している。

しかしトカゲはバッタなどの生きた餌を食べるので、その餌を調達するのが大変だ。

子供たちには「餌をつかまえられないなら放しなさい」と言ってはいるのだが、2,3日餌なしで放っておくことが多い。そのせいで、時々餓死するトカゲもいる。

息子たちは動きの鈍くなったトカゲの体をつついて、動くのがわかると「ほら、まだ元気だよ」と何の疑問も持たずに言う。人の言葉を発しないトカゲが「お腹すいた」と息子たちに訴えたとしても、息子たちには決して感じられない。

 

さすがに3日餌をあげていなかったのに罪悪感を覚えたのか、下の息子が「トカゲはなすー」と言ってきた。

卵を産んだニホントカゲはずいぶんやせて動きも緩慢になってきていた。

このままかごの中で餓死させるよりは、外で餌をつかまえるかも、という望みを持って、公園の茂みに放した。卵もそこに置いてきた。生まれたばかりの子供トカゲにあげる餌が調達できるか、自分にもまったく自信がなかったからだ。

 

上の息子は「朝バッタを捕まえてくる」と言ったものの、次の日の早朝は雨。早起きした息子は外には行かず、自分の部屋でPCをいじりだした。

 

朝ごはんの時間になって、さすがに自分も腹が立ってきた。

雨が止んだにもかかわらず、TVを見ながらのんきにご飯を食べている。

 

「◯◯、トカゲの餌は取ってこないのか?」

「だって、もう時間ないし」

「まだ学校に行くまでに時間があるだろう。このまま餌をあげなかったら、トカゲ死んじゃうんだよ」

「だって・・・」

「だってじゃなくて餌を捕まえに行ってきなさい!考えても動かなかったら何も始まらないの。動け!!!」

ときつく言うと、かごを持って出かけていった。

 

友達との集合時間ギリギリに息子が戻ってきた。

バッタを3匹捕まえてきた。

 

「うん、よくがんばった。バッタはお父ちゃんがトカゲに上げるから、行ってらっしゃい」

と息子を送り出した。

 

上の息子の飼育しているトカゲは5匹ほど。3匹ではまったく足りない。

その日は出社までに時間があったので、公園に行って5匹バッタを捕まえてきた。

これでも足りないだろう。

 

トカゲのいるかごにバッタを放し、ペットボトルのキャップにお水を入れてあげ、霧吹きで砂をしめらせた。

日除けもした。正直なところ、ここ最近の西日は殺人的だ。トカゲにしたら虐殺レベルかもしれない。もうしばらくしたら、餌の調達に関係なく、トカゲを放したほうがいいのかもしれない。

 

できない言い訳だったら幼稚園児でもできる。可能にする方法を考えるのが大人だ。

何かをやってみて、ダメだったとしても「何がダメだったか」が分かれば次は成功するかもしれない。それが「動いて、考えて、また動く」だ。

この言葉の意味、上の息子が理解するのはまだ先になるかなあ・・・

 

話は変わるが、上の息子の算数のノートがなくなったので、息子がツマに「明日算数のノート買ってきて。絶対買ってきて。」とお願いした。

するとツマ、

「絶対なんて言われても絶対買ってこれるかどうか分からないから約束できないね。『できるだけ買ってきて』って言うなら分かるけど」

と言った。

 

ノートのなくなるギリギリに言う息子も悪いが、その息子に屁理屈をこねて責任回避をしようとするツマには腹が立った。

「絶対」というのは息子の気持ちであって、約束を破ったら罰を受ける、というものではない。あくまでも希望、というニュアンスだろう。それを素直に受けようとしないツマのひねくれた心。

そして『できるだけ買ってきて』という表現もなんだかおかしい気がする。

『できれば買ってきて』では、できなければ買わないことになる(ツマの都合で買えなくてもしょうがない、ということになる)。息子はノートがなくなる前に絶対に新しいノートがほしいのだ。そこを分かっている上での発言だとすれば、なんと意地の悪い親だろう。

 

集会に子供を連れ出す時間があるなら、集会に行かずにノートを買う時間を作ったらいい。いや、息子にお金を持たせて買いに行かせたっていい。その方が教育になるんじゃなかろうか。

 

そしておまけ。

 

下の息子の幼稚園の登園拒否はひとまず収束したようだ。

早お迎えを求めなくなり、体操教室も最後までやるようになった。

ちょっと諍い?があったお友達とは関係修復したようで、お迎えに行くと、そのまま園グッズを放り出して園庭へ駆けていく。そのままお友達といつまでも遊んでいる。

いつかまたお友達を招待したいらしい。

また気持ちがどう変わるか分からないが、このまま楽しく卒園まで過ごせれば、と願う。エホビアンのくだらぬ禁止事項など蹴り飛ばして。

 

下の息子の状況がよくなったので気分もよくなり、ツマにもちょっとだけ優しく接した。まあ宗教の押しつけを許すわけではないが。

 

楽観的だが、ちょっとしたことで覚醒しないものか・・・

帰宅するとパソコンにメモが貼ってあった。

「お仕事おつかれさまでした。いつも先に寝てしまってゴメンね。ツマ」

だって。

・・・おいおい、謝る前に起きてお迎えしてくれればいいじゃないの(うっとうしいから御免こうむるが)。

またどこかのお姉さまに「こんなメモを書けば旦那さんがあなたのことを見直すわよ」とでも言われたのだろうか。

元よりツマをあてにしていないので、夜起きていないことで謝られる筋合いはない。大体エホビアン妻で非信者のオットの帰りを待って起きている人っているの???

 

そもそも謝る対象が違う。

本当に謝罪しなければならない相手は、あなたの息子だよ。

 

「お母ちゃんの趣味につき合わせてごめんなさい」

 

こんなセリフが出るくらいなら集会になぞ行かないだろうが。