中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

責任

この記事は宗教抜きの話。

 

業務の中で、安全に関する取り決めを検討する会に所属している。

今年の4月から体制が変わり、安全に関する指針も見直すことになった。

その中で、これまで擁護されてきたうちの部署にもそれなりの規制がかかりそうな雰囲気になってきた。

委員長がそれについて部署の意見を聞いてみて、と依頼があったので、部署のもう一人の委員に話を持ちかけたところ、

「ん、全員反対でいいんじゃない?」とあまりに短絡的な答え。「とりあえずみんなに意見を聞いたほうがいいんじゃないの?」と聞いても「全員反対でしょ」と決めつける。

個人的にその規制を受け入れてもいいと思っていた自分は、ひとまず部署のメンバーにメールを打った。

自分を除く全員が「反対」ということだった。規制をかける意味が分からない、とか、必要がない、とかいう書き方をしているが、自分からすると感情的で理論的でないと感じた。

とりあえずメンバーの意見をまとめて委員長に提出したが、どうも委員会がその意見に同意するような雰囲気はない。

 

分の悪い状態の中、もう一人の委員が唐突に委員を辞めて後輩と交代する、とのメールが入った。理由は書いていなかったが、状況からその理由は察しがついた。

 

絶対反対派でない自分にとって、絶対反対の意見、それも理屈がいまいち通らない意見を委員会に無理強いする気持ちにはならない。そのため委員会の弁明では、委員会のお情けにすがるような発言しかできなかった。当然委員会のお慈悲はなし。

規制のかかる方向へ進むのを止めることはできなかった、というか止める気は起こらなかった。他の部署が規制のかかった状態を受け入れて文句を言わずにやっているのに、うちの部署だけが特別だから、という理由は通らない。

 

そんなことで翌日、規制がかかりそうだというメールを送ったところ、翌日反対派数名から熱い返信が届いた。

この前よりも感情的で、長い、うんざりする内容のメールだった。2,3時間読む気にならなかった。

それにも増して腹が立ったのは、そのメールの威を借りるかのように、委員を辞めた奴が恥も外聞もなく反対意見をずらずらと書き並べていたことだ。

そこには、『規制がかかることによって肉体的な負担が増す。実は自分、この業務を続けて腕がしびれるようになった。医者に行ったら長時間同じ姿勢でいることと緊張を続けていることが原因です、と診断された。これ以上の負荷を自分たちにかけないでほしい』というようなことが書かれていた。

 

・・・なぜそれを委員会で言わなかった?

 

彼が委員を辞めたのは、その時は委員会の意向には逆らえないと感じて逃げたのだと推測している。そのまま委員でいたら、自分が反対にもかかわらず、部署に規制を勧める立場になってしまう(部署内で悪者になる)ことを恐れたのだろう。

ただし辞めるなら辞める時の仁義ってものがあると思う。自分の意見が通らないからと辞めておいて、今度は外側からケチをつけるなんて、卑怯の極みだ。

彼のメールの最後に「皆さん、がんばりましょう」と結んであったのには、開いた口がふさがらなかった。がんばるのはそこじゃなくてもっと前だったんじゃないのか?

 

それから彼とはまともに口を聞いていない。

 

自分にも非はあった。反対派に、メールではなく個人と直接話をして、意見を聞けばよかった。その方が彼らの気持ちを汲むことができたかもしれない。そして、彼らに「そんな感情的な意見では委員会を通らない、もっと理論的な説明がなければダメだ」ということもできたがやらなかった。

 

反対派の一人のメールには「なおじさんはもう信用ないので(辞めた奴)を復帰することはできないんですか」とも書かれていた。こちらもいろいろ問題があって申し訳なかったが、辞めた奴の行動を知ったらどう思うか。

 

今反対派に何を言っても聞く耳を持たないだろうから、事が決まるまで規制の件については何も発言しないことにした。元々リスクを承知でいるので、規制がかかってもかからなくても自分に不利なことは何もない。むしろ自分たちの意見が通ると思っている反対派が、いざ通らなくなった時にどうできるのか、そちらの方が心配だ。そうなった時の案を、反対派が選ぶ選ばないに関係なく考えておこうと思う。

 

うちの部署はある一部分において責任重大な部署でもある。しかしそれを勘違いして「発言力のある部署」「権力のある部署」だと思い違いをしている連中がいる。

そして主要業務以外で責任ある仕事を持っている人が極端に少ない。主要業務がなければヒマをもてあましてしまうような状態だ。自分に不利な条件を受け入れたり、譲歩するという能力を養わずに20年近くを過ごしてしまった(ように見える)。

ゴネるだけなら幼稚園児でもできる。正当な理由を持って要望を通したり、譲歩できることはする、それが社会人ってもんだろう。

 

まあ自分もなんだか会社という思考の中に取り込まれつつあるのかもしれないが、今回のことで、ますます今の部署をどうにかしないと先が見えないように思えている。