中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

「聖書は実際に何を教えていますか」を読む(3)

さて第2章 聖書ー紙からの書物 から読み始めます。

まだ1/10も読んでないので全部を読み終わるまでどのくらいかかるやら。そんなことしている内に「目覚めよ!」も「ものみの塔」もドンドントンデモ記事を書き続けていくんだろうなぁ。それらについても時々取り上げようと思います。何にしても自分が怠け者なのがいけないんだよなー。まあ信者じゃないから(信者じゃなくても)神罰は当たらないから気長にぼやき続けましょー。

 

P18

親しい友達から・・・感謝の気持ちを伝えたに違いありません。

なぜか「親しい」の文字だけが大きくなっています。親しいということを強調したいのでしょう。それが何なのかは次の行で分かります。

 

聖書は神からの贈り物であり、そのことに深く感謝するのはふさわしいことです。この類例のない書物は、ほかのどこにも決して見いだせない情報を提供してくれます。例えば、星の輝く天の創造、地球と最初の男女の創造に関することがあります。

地球と大地の創造に関していえば日本書紀にも似たような記述が見られます。他の神話は調べていないのですが、おそらく中東神話に似たような創世の記載があるでしょう。「ほかのどこにも決して見いだせない情報」というのは中東神話を過大評価しています。

 

聖書には・・・何と興奮を誘う贈り物なのでしょう。

信頼できるかどうかは不明ですが、教訓めいた記載はところどころにあるようです。ただ、「神がどのようにご自分の目的を果たし、地上の状態を良くされるかについての説明もあります」というのは、今のところ選挙の公約みたいなもので、まだ果たされていないんですよね。候補者の姿も見えないのに、選挙カーが「エホバは約束を果たされます」と連呼しても、未信者には説得力がありません。

 

P19

実は、聖書を持っている人は少なくありません。

それはエホビアンが「バビロン」とか言って批判している多数派のキリスト教徒が持っている聖書も含めての発言ですよね?エホビアンの尊ぶ「新世界訳聖書」というエホビアンローカルの書物は全世界でどれだけの人が持っているのでしょうか。

 

さらに、聖書は「神の霊感を受けた」ものです(テモテ第二3:16)

紙にかいてあることを真に受けるならば、大川隆法氏の方が神に近いかもしれませんね(注:幸福の科学を支持しているわけではありません、むしろその反対です)。

中東神話(新改訳でも新世界訳でもよい)を何の解説書もなく読んでみましたか?文章がすんなりと心に入ってきましたか???

これはあくまでも個人的印象なのですが、
「正直いって非常に分かりにくい」書物です。

中東神話(旧約)の半分も読めずに挫折した自分にとって、この書物はとても「神の霊感を受けた」ものとは思えません。神の霊感を受けた書物ならば、(すべての)人間に分かる読み物になるでしょう。もちろん解説書など、妙な誘導本なしに読み解けるものになるはずです。(自分のような)バカにも理解できる読み物でなければとても「霊感を受けた書物」などとは見なされないと、バカな自分は思うのですが。

 

P20

ビジネスマンが秘書に手紙を書かせる例を挙げて、中東神話が神の言葉だとこじつけようとしていますが、神がビジネスマンだとしたら何と無能な秘書を持ったことでしょう。お客様(人間)に分かりやすい手紙を書けなかったために、宗派の分裂やカルト宗教の乱立を招いている現状をどう見ているでしょうか(神がいたらの話ですが)。

 

そのような意味で、聖書は間違いなく「神の言葉」なのです。

その前の文「聖書に含まれている音信は、それを書いた人間のものではなく、神の音信なのです。」を受けて書いているのでしょうが、その文自体が何の根拠もありませんので、「そのような意味で・・・」という文にも説得力は皆無です。

 

調和していて正確

聖書は・・・最初から最後まで調和を保っています。

これホントですかね?中東神話をすべて読んでいない自分にはこうだと答えられません。中東神話(いわゆる聖書)を読破した方がこれをご覧になったらぜひコメントをお願いします。

 

聖書中の最初の本は・・・神からの書物であれば、当然そうなっているはずです。

「神からの書物であれば、当然そうなっているはずです」という仮定は事実とみなしていることではありません。この文章を読んで「これは神からの書物なんだ、だからここに書かれていることは真実だし実現されるんだ!」などと理解した方、中学の国語を一から勉強しなさい!

 

聖書は科学的に正確です・・・古代イスラエルの律法が収められています。

レビ記」に隔離や衛生に関する律法が収められていたのは、これまでの経験による対処法を記載しただけでしょう。神のお告げで初めて行ったことではありません。

 

P21

地球の形について間違った見方がされていた時代に、聖書は、地の円、つまり丸いものという表現を用いました(イザヤ 40:22)。

この文章を読む限りでは、自分の住む場所の周囲(円)を示したに過ぎないと思います。住んでいる場所が大きな球体であるようなニュアンスではないでしょう。

 

聖書は歴史的にも正確で信頼できます・・・それは、聖書が神からの書物だからです。

旧約初期の登場人物の寿命が長いのは歴史的に正確なんですかね。それ以前に「7日間で大地と生物を作った」との記述は歴史的に正確で信頼できるものなんですかね?

「時の歴史家は自分の国の敗北について語らない場合が少なくありませんが」

というのはどこに根拠があるでしょうか。具体的にどこの国を指すのでしょうか。少なくともドイツは自国の敗北、そして侵略を認め、謝罪しています。「少なくありませんが」に近い例でいえば極東の島国の首相が自国の侵略戦争を認めず、再び戦争をやろうと意気込んでいる、ということもありますが。

 

それとは対照的に、聖書に筆者たちは正直で、自分自身や自国民の失敗も記録しています。

自分の記憶する限りでは、民数記は一人称的な文章ではなかったような気がします。つまり著者はモーセではなく、モーセたちを客観的に見ていた方でしょう。

しかしそれ以前に「聖書は霊感を受けた」ものなのだから、「筆者たちの正直さ」には左右されないんではないんですかね?神が書きたいことを書かせていたんだから相手の失敗などまったく気にせず笑い話に収めてみたんじゃありませんか。それともエホビアンは中東神話(聖書)を「筆者たちの意志」に左右されるような書物だと認めるんですかね?

 

本日はこんなところで。大して本文(中東神話)を読まなくても突っ込む箇所はかなりあります。

「・・・であれば、・・・なはずです」という書き方は、あくまでも仮定であり、事実を述べている訳ではありません。

これはエホビアンの書物だけでなく、詐欺を働こうとする方々の言葉や文書にちりばめられています。どうぞご注意を。

おやすみなさい。