女、水没す
女が子供を連れて大会に行った翌日。
子供がプールに連れて行ってくれとせがむので連れて行くことにした。
そこになぜか女が「私も行ってもいいかしら」と言うではないか。
断る理由はない(けど「いいよ」、という気にもならない自分)。
女はサーファーが着るような、およそ色気のない、露出の少ない水着でプールに現れた。スタイルのよい女性がその水着で江ノ島の海岸に歩み出たら、バカ男どもは放っておかないだろう。それに180度背を向けたような、近くに来たらむしろ蹴飛ばしたくなるような不快感。
予感というものは、それが当たると「やっぱり」と思うが、当たらなければその予感を忘れてしまう。
今回の予感は事が起きてから「やっぱり」と思う類の予感だった。
火曜日(大会の3日後)の朝、
「私バプテスマを受けました」
と誰かに形づけされたような言葉を女が発した。
非信者にとっては水没しようがしまいが大した違いはないかもしれないが、
正式な「エホバファンクラブ」会員になったことで、息子たちにどんな影響を与えることになるのかが一番の不安だった。
そして腹のたつ二言目
「とうちゃんは一家の長としてよろしくお願いします」
だと。
自分にとっては「私はエホバに身も心も捧げたけど、日常生活の面倒は見てよね」と言ったように思えた。
冗談ではない。
神に抱かれたなら、神にすがりつけばいい。いつも言ってるじゃないの「エホバが正してくれる」って。
だったら非信者の夫に頼らずエホバにすがって生きればいいんでないの?
それなのに、サタンと呼ばれている一般社会に住む夫に寄生して生きる女というのは何者なのだ?
ほとほと都合のよい紙にあきれて涙も出てこない。
研究生から信者となった女の子供にどのような影響が及ぼされるのか・・・
今はただ「冷静になれ、落ち着け」と紙に書いて自分の心の昂ぶりを抑えるしかできない。
もしよい知恵をお持ちの方、お助けください。