中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

「悪霊にさいなまれる世界」「物理学と神」を読む

ちょいとまとまった時間が取れたので、借りていた本2冊を読むことができた。

 

1冊目は、カール・セーガン著「悪霊にさいなまれる世界」。

UFOや火星に存在すると言われる遺跡、異星人、陰謀論、悪霊、ミステリーサークル、その他もろもろに、素朴な疑問というような形で「それ、妄想じゃあないですか」と問いかけたり、現実的な証拠を上げながら「(そのような存在なのに)なんでその程度なんですかね」と突っ込んでいる本、と大まかに書いてよいものか。

宗教についても記載がある。異星人と天使と何が違うのか?というような記述もあって面白い。どちらかといえば無神論派の自分にとっては興味深く読めた。

そうでない方も、「こんな考え方がある」のを知るだけでも有効ではないかと思う。

Wikipediaで調べたところ、1996年にお亡くなりになっていた。65歳とはずいぶん若い。ご冥福をお祈りします。

 

2冊目は、池内了著「物理学と神」。

科学(特に物理学)の歴史を、神にからめて解説している本と言えばいいのか。

説明がうまくないので、リンクのプレビューを参考にしていただいた方がよいかもしれない。

アリストテレスの時代から現代に至る科学の発展の中で、神がどう扱われてきたかを記載している。神の権威を立証するために行っていた研究が、神に疑問を抱く結果となったこと(天動説から地動説への変遷など)、一旦神を退けたかに思われた科学に、やはり神が必要ではないかと思われた時代(宇宙論)、そしてこれは本書を読んで初めて知ったのだが、人間原理という「宇宙がこのようにあるから、人間が存在するのだ」という、神どころか人間主体の宇宙論まで取り上げている(著者はこれを否定する姿勢でいる)。

 

「科学は『なぜ』を追求する学問でなく『どのように』を追求する学問である」という基本的な考え方がある。

『なぜ』を追求する学問は、哲学や宗教学の範疇になるのだろうか。求めているものが違う以上、宗教が科学の範囲に口出しするのはどんなもんだろう。

 

どちらもけっこう出版年は新しくないが、どちらの本も面白く読めた。

興味のある方にはぜひ読んでいただきたい。