中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

ほうし

月曜日は雨。ツマはメシ以外は自室に閉じこもっていた。

火曜日に雨が止むと、評価に困る(もちろん評価する気もないが)服を着て出かけていった。どこぞのお姉さま宅で研究という名のお茶会か、さもなければ奉仕と呼ばれる宗教の押し売りに行ったのだろう。

雨が降ったら奉仕に出ないんじゃあ、雨季のある国では商売上がったりだろう(笑)。もちろんその方がされる側にとっては平和でいいのだが。

 

奉仕・・・英語ではservice(サービス)とか、volunteer(ボランティア)となる。

JWの奉仕活動は、周りの人々に対しての奉仕という意味ではなさそうだ。

紙様の代わりに布教することで紙に奉仕している、ということなのだろうか。

全能らしい紙様にサービスしたり奉仕するのは無駄なことじゃないかと思うのは自分だけか。

 

さて、自分は火曜日、ソースのクラスの学習ボランティアに参加してきた。

家庭科の授業で裁縫の実習に立ち会うお手伝いみたいなものだ。

 

波縫いから本返し縫い・半返し縫い、かがり縫いまでを約1時間半でこなす授業だが、初めての子はけっこう難儀する。

ソースも難儀する方だった。嫌なことをすぐに投げ出してしまう困ったちゃんなので、すぐ「めんどくさい」が口に出る。

とりあえず息子のテーブルに立ち会ったものの、(やっぱり別のテーブルに行けばよかったか?)とちょっと思った。実の息子に対してだとついつい物言いが感情的になってしまう。息子が投げやりになっていたり「めんどくさい」と言うのでなおさら腹が立ってきてしまう。きつい口調になりがちなのを可能な限り抑えながら、ちょっと口出しちょっと手出し。

おっと息子にばかりかまってはいられない。他の子の様子も見ながらちょっと口出しちょっと手出し。

 

思えば自分がまともに裁縫を習ったのは小学校高学年のみだった。裁縫も工作の仲間みたいなものなので、けっこう楽しくやっていたような気がする。その2年だけの学習にもかかわらず、今も役に立っている。体操服や水着のゼッケン縫いつけは自分の役目。ツマが「お願いします」と押しつけるからやっているところもあるが、「俺が息子たちのゼッケンを縫いつけているんだぜ」という優越感めいたものもある。

ツマがこれをやらないのは、うまく縫う自信がないことと、縫ったものを誰かに批判されるんじゃないかと思う恐れを抱いているからだと推測している。

まあオットがうまく縫えるからうまくできる方がやればいいのだろうけど、やらないと上達しないのだよ・・・自分なんざうまかろうが下手だろうができることだけで自慢したくなってしまうのに、はぁ。

 

来週も同じ授業に立ち会うことになる。今度はフェルト布で小物を作るらしい。

ソースはいったいどんなキテレツなものを生み出すのか。

楽しみにしていよう。

 

(6月13日追記)

 

その晩授業のことをボヤージュに話すと「ボクもやってみる!」と騒ぎ出した。

お風呂から上がった後でボヤージュに針と糸を持たせると、驚くほど上手に波縫いをした。正直なところソースよりもうまい。

「ばーば(なおじの母)におしえてもらったんだ」とボヤージュから聞いた。

この前実家に行った時に母が教えてくれたんだろうか。母さんさすがです。

そんなんでボヤージュ、ハートになぞったところに波縫いをしてご満悦。

 

後からやってきたソースもなぜか波縫いに参加。
授業では雑でうまくなかったのに、ここではかなりきれいな波縫いをやっていた。

本人のやる気があるのと、時間に追われていないのがよかったのだろう。縫い終わった形についてはすみません、本人の自由に任せていますので(泣)。

 

さあ、目指せ、裁縫男子!
将来のお相手が裁縫上手とは限らないし、習得しておいて損はない。現に今、自分は裁縫やミシンが少しできて君らの役に立っていることがうれしいのだよ。口には出さないけどね。ツマの前で口にしたら、すでに四次元的に曲がっているへそを5次元的に曲げることになりかねない。

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