自由を獲得するためのツール
子供が親から離れるためには、精神的なものばかりでなく物理的なものが必要な時があると思う。
駐輪場が確保できなかったために先延ばしになっていた、ソースの新しい自転車購入がやっと実現した。
マンションのバイク置き場の利用率が低いため、半分を駐輪場に転用することになり、その空きに1台契約することができたのだ。その時は、管理組合とのつながり(飲み会)は大切だなあ、と痛感した。
夏休みに入ってからの自分のお休みに、自転車屋に行ってきた。
現在の身長だとなかなか選択が難しく、大人用では大きすぎ、ジュニア用ではちょっと小さい、というような痛し痒しの状態。
それでもソースの気にいる自転車を選択した。
スポーツタイプの自転車で、うまく乗れば高校くらいまで使えるんじゃなかろうか、というものだった。
翌日、少し遠くのバッティングセンターに行くのに自転車で行ってみた。
ソースは何の不平も言わず軽々とペダルをこぐ。感触は上々のようで、速く走れることが快感のようだった。
バッティングセンターで心ゆくまでボールを打った後は、近くの線路で鉄道写真の撮影に。
今までは電車に乗って行くような場所にも自転車で行けることが分かり、ソースの行動範囲も広がるだろう。
さて、ソースの自転車をお下がりにもらったボヤージュも、きっと好きに走り出すようになるだろう、と期待している。
物理的な自由が精神的な自由を促進すればいいなあと思っている。
いつまでもツマ金魚のフンのようにいてほしくはない。自分の意志で動く人間であってほしいのだ。
自分の気分を整理していた。
ボーッとしていると、いままで当たり前だったことが当たり前でなくなることをスルーしてしまうような気がしている。
いつの間にか、エホバの証人のダメダメ状態が普通の状態だと刷り込まれてしまう。
それに抗う意味でも行動しなきゃいけないんだ、と思う。