演劇「骨と十字架」を観る
地平の彼方に何かがみえる。
だが「近づくと神の罰が下る」と誰かが言う。
大部分の人はその言葉を鵜呑みにして近づかない。
けれど、「どこまで近づいたら神罰が下るだろう」と考え、ジリジリと歩んでいく者がいる。
今回観た芝居はそんな方を題材にしたものだった。
☆ここから先はネタバレになります・・・
キリスト教の司祭であり、その一方で考古学者でもあるピエールが、深い信仰心を持ちながらも進化論を事実として信じている。そこを軸にして周辺の数人と織りなす会話劇だ。
彼の言った「聖書の言葉は真実の比喩である」は、聖書の言葉と考古学が示す人類の進化の両方を肯定するセリフだったのだろう。しかし強硬なバチカンからの使者は、頑なに彼を否定する。
結局彼は北京に赴任(排斥)されるが、そこで・・・
キリスト教に関わる方にとってはかなりのめり込める内容だと思う。
ぜひご覧を、とおすすめしたいところだが、東京公演は本日(28日)が千穐楽。
兵庫県立芸術文化センターで7/31に公演があるので、席が空いていたらぜひご覧になっていただきたい。
幾度となく記事に書いてきたことだが、紙が何もしないから人は自らの手で様々な技術や思考を獲得してきた。「紙が人間を創った」とあるが、初めから紙に背かない人間を創っていれば、紙のいうことを聞くだけのサルとしてヒトはお幸せに暮らせたのに、そうしなかった。
紙は人に自由意志を与えたのだ、という方々。では紙からの言葉を聞いたこともないあなたが人を紙の名のもとに縛ることができるのか、と問いたい。
アダムとイブのイベントは、人がサルの仲間から進化するきっかけで、人が紙から離れ、独立するイベントでもあったのではなかろうか。
最後のシーンで、主人公は友人と共に神に祈りを捧げた。
しかし彼の祈りは友人とは別のものに向けられていた。
「私の、神に」という最後のセリフは、神とは言っていたが盲信する対象ではない。
自分の良心と、自分を信じる心に寄り添ってくれる存在こそ、彼にとっての神なんだと感じた。
これも何度も書いたことだが、「神は自分だ」ということだ。