言わないことが愛なら
上の息子は夜尿症。ほぼ毎日おねしょをしている。
3歳前からおむつを外し始めたが、週に2〜4日はおねしょをしていた。
しばらくおねしょをしない時期もあったが、状況はよくならず、6歳過ぎにまたおむつを履く生活に。いかんせんこのままではまずいと思い、おねしょ外来に対応している小児科に行ってみた。
自分が息子を連れて2,3回通った後、ツマに引き継いだ。
ところがツマは何が気に入らないのかそこの通院を止め、新しくできたおねしょ外来のある泌尿器科に通うようになった。
しばらく通院していたが、ある日通うのを止めた。ツマ曰く「自分の人格否定をされるようなことを言われた」らしい。
自分は正直なところ、ツマを信じる気にならなかった。
通院を止めてから1年以上経ったが、おねしょはまったく治らない。こちらもおむつ任せにしているせいで、おねしょをしないような生活習慣や飲み物に対する注意をまったくしていなかった。
何もしないわけにはいかないので、ツマが通院を止めた泌尿器科に再度訪ねてみることにした。
お医者さんは通院を止めたことについては特に触れることなく、以前の状況を説明し、現在の息子の状態を診察してくれた。
そこで1週間のおねしょやちびりの状態、飲んだ水の量や尿の量などを計った上で、次の週にまた診察を受けた。
お医者さんからは、まず昼間のちびりを治すのが先決と説明され、薬を処方された。
そして飲み物についてはけっこうな制限が入った。
・刺激のある飲み物は飲まない(炭酸飲料・カフェインが含まれるもの・柑橘系飲料)
・基本的に水か麦茶にする
・外食でドリンクバーは頼まない(当然)
・牛乳は1日300mlまで
帰宅してからツマにそのことを話すと「はあ?」とばかりに反論された。
ツマがその泌尿器科に通っている頃も、時々炭酸飲料を買ってきては息子たちと飲んでいた。そしてツマの母親が来た時は常に外食で、ドリンクバーがあれば必ず頼んでいた。
どうやら息子がツマと通院していた時に自分と同じ説明をされていたにも関わらず、医者の言うことを聞かずにいたようなのだ。
まあ過ぎたことは置いておき、息子への飲み物の制限を、ツマの母親にも話すと告げると「それは止めて」とツマ。
「お母さんは傷つきやすいからそれは言わないで。あなたはなぜ人を傷つけるような言い方をするの?もっと柔らかに言ってくれない?」だと。
「息子のおねしょを改善するために協力してもらう話をするのになんでお義母さんが傷つくの?」
「あなたがそんな言い方をしたらお母さんは傷つくの」
「それじゃあ代わりにあんたが言って」
「それはいや。もっと愛を持ってくれない?何も言わないで見守ってくれる?」
そして息子に
「◯◯は自分でおばあちゃんに言えるよね?」
この会話だけで無性に腹がたってきた。
この人は自分が傷つくのを極度に恐れている。そして自分が関わってきたことなのにひたすら責任回避をしようとしている。さらに誰かのために自分が我慢しなければならないのをものすごく嫌悪している。
物事をよくするために言おうとしているのを黙っているのが「愛」なら、何も言わないことがよいことになってしまう。そんなのは偽善だ。ヘドロの上に乗ったきれいな砂に、波風が立たぬよう守るような愚かな行為だ。
外食でドリンクバーを頼む場合は、全員が頼まなくてはならない、という店もある。
仮に上の息子だけを外すことができても、普通の感情を持っていたら気がひけるだろう。
息子のために自分がドリンクバーを我慢しなければならないのはごめんだ、という感情がありありと見て取れる。そして恐らく義母も同じ感情を抱く。
ならば外食をやめて家で何か作ればいいのに、と思うのだが、この親子、自分が見ている限り、お互いに対してご飯を作ろうという気がない。
以前の記事にも書いたが、ツマは母親から料理を習わなかった。母親曰く「台所が汚れるから」という理由で料理をさせてもらえなかったんだそうな。
多分ツマが自分の母親に手料理をふるまったことはない。
そんな関係な親子の利害が一致して、息子のおねしょ防止を邪魔することになる。
しかしお義母さんが傷つきやすい、と言ったツマは、お義母さんが何に一番傷ついているか、分かっているのだろうか?
薬を処方された翌日からおねしょが止んだ。まだ2日しか経っていないがとてもうれしい。もしかしたら薬のせいではなく、精神的なもんではないかと疑ってしまうのだが、結果オーライ。
しかし今晩ツマが息子たちを連れてJWのお家で遅くまで飲み食いに出かけていた。明日の朝がちょっと心配だ。