あガナイ
僕は中学生になってすぐ心臓の病を患った。
お医者さんの話はすべて理解できたわけではなかったが、心臓にある弁がうまく機能しない病気らしい。
手術で治る確率は70%。うまく行かなかった場合、完治するには心臓移植が必要だそうな。
母親は毎日病院に来ては僕の手を握って涙を浮かべた。
(そんなことされると、まるで自分は死ぬ運命にあるみたいじゃないか)と思いながら、死んじまったらどうなるのかをボーと考えていた。
絶対安静というわけではないので、ヒマにまかせて病院内を探検しまくった。
美人の看護師さんを尾行したり、騒がしい大部屋にお邪魔しておじいちゃんおばあちゃんの会話に加わったり、看護師さんと親に迷惑をかけない程度に入院生活を楽しんでいた。
ある日屋上に上がると、ひどくひょろっとした、僕と同い年くらいの男の子が手すりにひじをついて遠くを眺めていた。
「こんちは」と声をかけた。
彼の返した「こんにちは」の声は、自分を拒否するようではなかった。
自分と同年代の男子がいなかったため、うれしくなった僕は彼に畳みかけるように話をした。年齢は?どこの中学?好きなものは何?
彼は僕の質問に誠実に答えてくれたが、どうも本心で言っているように思えなかった。それでも話をできる相手ができた喜びで、僕は彼の迷惑も考えず話をしまくった。
彼は自分よりひとつ上で、隣の県の中学校に通っていた。病気については言葉を濁されたが、血液の病気らしかった。
僕はそれから彼の病室(大部屋)にしばしば顔を出すようになった。
彼は自分からは話を切り出すことはなかったが、僕の言うことには出来る限りの誠意をもって答えてくれるように思えた。それでも彼の言葉がどこかで壁にぶつかって、ホントのことを聞いていないような気がした。
二週間後、手術することが決まった。
彼にその報告をしようと大部屋に行くと、彼の名前がそこになかった。
ナースステーションに問い合わせると、個室に移ったとのことだった。
彼の病室に行ってみた。
彼はちょっと会わぬうちにひどくげっそりしたように見えた。
僕の姿を認めると、力なく笑って「やあ」と小さな声を発した。
「どうもここのところ調子が悪くてね。もうダメかもしれないよ。」
「冗談きついなあ。ご飯しっかり食べてるかい?外出して焼き肉でも食べないと。病院食じゃあ栄養が足りないんだよ。」
「いや、いつもお腹いっぱい食べてる。」
しばらく沈黙が続いた後、めずらしく彼の方から話しだした。
「あのさ、もし僕が死んだら、僕の心臓あげるよ。」
「・・・! 何言ってんだよ。僕の心臓は手術で治るんだから、君の心臓なんていらない。それよりも、君が元気になったら何がほしい?僕にできるものならなんでもあげるよ。」
「ははは・・・ありがとう。でもね、君にはいろいろいっぱいもらったから、それで十分だよ。お返しに自分の命をあげたいくらい。」
「そんなのいらないって。お互い元気になって、どこかに遊びに行こうよ。きっとものすごく楽しいぜ。」
「ああ・・・そうだね。」
夕食の準備に看護師さんがやってきたので、僕は病室を後にした。
次の日、病室を訪ねると入口に彼の名札がなかった。
僕の手術は成功した。退院すれば今まで通りの生活が送れると先生が言ってくれた。
彼のことは残念に思ったが、今は自分が生きのびたという喜びの方が強かった。
退院する3日前、見知らぬ男が面会に現れた。まっとうな仕事をしていないと、中学生の僕でも分かった。
「息子が世話になったねえ。いや、息子が君に世話をした、と言った方が正解か。
息子は君に自分の命を与えた。いや、息子は君のために死んでくれたんだ。それについて感謝する気持ちが起こって当然だろう。そこで、遺族に1000万円を寄付してほしいんだ。もちろん中学生の君にそんな大金は出せないだろうから、お父さんに出してもらえばいい。自分の命の代償にしたら安いもんだと思わないかい?」
反論する間も与えず言葉のマシンガンを撃ちまくる相手に、僕はなすすべもなかった。そのうちに左胸が痛みだした。呼吸が苦しい。しゃべりまくる相手の姿がだんだんぼやけていき、最後に視界が真っ白になって消えた。