「人は、信じたいものを信じる」ようにできている、そうな
NHK連続テレビ小説「なつぞら」第93話で、主人公のなつが北海道の家で一緒に生活していた同い年の夕見子のことをマダムに「私の姉妹です」と紹介していて拒否反応が出そうになったうえになおじです。
他にどういう紹介方法があったか思いつかないので仕方がないかと思ったが、兄弟姉妹が自分よりも年上か年下かを気にする日本ならではの問題なんだろうなあ。
日本のJWのみなさんは気にならないのかなあ・・・
さて、いつも拝読しているはてなブログ「いつか電池がきれるまで」にこんな記事が載っていた。
たまたま「ドアの向こうのカルト」も紹介していたのでリンクを貼っておく。
記事やリンクをじっくりと読んではいないのだが、「愚かだったからカルトにはまった」という直情的な考え方に待ったをかけてくれるいい記事だと思う。
ツマはボヤージュを、自分と一体化しようとするかのように抱きしめる。
愛情というより執念深さとでもいうべきか。
その思いが子供を殺してしまう結果を招くかもしれない、と想像できないのだろう。
自分が紙に依存している身分なのに、子供を自分に依存させてどうするのか。
無収入の居候が彼女を連れてきて「俺がお前の面倒をみる」と言って同棲を始めるようなもんだ。
あ、記事を読んでもそれが言動に反映されてない。