中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

腐ったミカンの方程式

まずは校長先生を務めた赤木春恵さんのご冥福をお祈りします。

 

3年B組金八先生」第2シーズンのエピソード

 

3年B組に転入してきた生徒のことで、転入前の中学の先生が言った言葉。

「腐ったミカンが1つ箱に入っていると、他のミカンも腐ってしまうんですよ」

 

その話を聞いた金八先生が先生に訴えた。

「あいつはミカンじゃない、人間なんだ」

 

その先も非常によい場面だったのでリンクを載せとく。

 

さて冷水をかぶって考える。

 

「腐った」という状態はどんな状態か。

食べ物でいえば「おいしく食べられない状態」「菌やカビが繁殖して、明らかに食べられない状態」ってなことか。

 

しかし、「腐った」と「食べごろ」は紙一重の関係でもある。

腐る直前の肉が一番の食べごろだったりするし、バナナの黒っぽくなった部分は熟して甘ーくなっているのだ(子供の頃は嫌がって食べなかった)。

 

だいたい「腐って食べられない」状態はあくまでも人間サマの基準であって、これらのものを好んで食べる生物は多数いる。

 

もっと突っ込んで言えば、「腐っている」という基準も人それぞれだったりする。

 

中東書紀(聖書と呼ばれる書物 新世界訳マタイ:7-17)に「良い木はみなりっぱな実を生み出し,腐った木はみな無価値な実を生み出すのです」との記述があるが、

自分に言わせれば良い(何がよい基準なのか不明だが)木だっておかしな実をつけるし、腐った木はそもそも実をつけない。実をつけるということは、その木は腐っておらず、実をつけるだけの活力を持っていることに他ならない。そして実には種がある。実をつけるのは子孫を増やすためであって、断じて無価値ではない。」

 

中東書紀の記述は、未来の可能性をつぶそうとしているように感じる。

「鳶が鷹を生む」に類似した記述は中東書紀にはないのだろうか。